古代の日本は中国文化の影響を色濃く受けており、その文化にはいたるところに漢学の名残が見られる。日本文化は長期的に、儒教を中心としたイデオロギー下にあった。明治維新までは、日本の「文語」は漢文を正当とするもので、民間の「口語」とは大きくかけ離れていた。文語と口語の大きな違いは、大量の漢字が存在するかしないかだ。この、口語と文語を一致させる「言文一致」のプロセスが「漢字・漢文からの脱却」に繋がった。すなわち、漢字・漢文を中心としていた当時の東アジアの「漢字文化圏」からの脱却だ。つまり、「脱亜」は実際には「脱漢」であり、「入欧」によって、外国語を表音化した語(カタカナ語)の比重が増加した。広州日報が伝えた。
西洋の経済・文化は日本人から崇拝されるようになり、明治維新は日本が徐々に西洋文化に傾倒していくきっかけとなった。政治面でも文化面でも、日本人は「脱亜入欧」の道を歩む必要があった。島国の特徴を持つ日本は文化の学習と模倣に長けており、「言文一致」は日本が西洋に近づくための第一歩だった。
斉一民氏の著作「日本の言語文字の脱亜入欧の道」では、日本の文字の脱亜入欧、そして日本という国家の脱亜入欧に対する研究と分析がなされている。我々はこの書を通じて、国家関係が両国の文字文化に及ぼした役割と、最終的な結果を見ることができる。また、中日の文化遺伝子の複雑な関係性について知り、起伏を繰り返す中日関係の背後にある深い原因を様々な角度から考察できる。
「言文一致」は、日本がかつての宗主国から独立するという明確なシグナルとなった一方、自身の文化的根源は捨て去れないことを証明した。日本の「言文一致」の影響は今日まで続いているが、中国の台頭に伴い、日本文化における漢字の地位も今後様々に変化していくだろう。どうあれ、言文一致と明治維新は、日本人の心の中にあった西洋文化との壁を崩すきっかけになった。(編集SN)
「人民網日本語版」2014年8月29日