終戦直後に中国東北部に残され、その後日本に帰国を果たした残留孤児やその子供ら54人が、黒竜江省哈爾濱(ハルビン)市内で養母らとの交流会に出席した後、14日に北京入りした。54人は、残留孤児から成るNPO法人「中国帰国者・日中友好の会」のメンバー。14日夜に、中日友好協会で54人の歓迎会が開催され、同協会の王秀雲・副会長や在中国日本大使館の伊藤康一・首席公使などが出席した。人民網が報じた。
「中国帰国者・日中友好の会」の池田澄江理事長は、挨拶の中で、「戦争で日本の被害者となったアジア、特に中国の国民が日本と和解できることを、ずっと願ってきた。これは、私達残留孤児の願いでもあり、帰国者みんなが生涯を日中友好事業のために捧げ、日中友好の懸け橋になりたいと願っている」と語った。
歓迎会で、孤児代表団らは中国の歌「説句心里話(話したいことがある)」の替え歌を披露し、「話したいことがある。私には実は二つの家がある。一つは日本にあり、もう一つは中国にある。話したいことがある。私はいつもきがかり。離れ離れになった、中国のお母さんが…」。今や高齢者となった孤児たちの思いの詰まった歌詞に、会場は感動に包まれた。
また、約1年かけて練習したという舞踏劇「中国のお母さん」も披露した。舞踊劇に参加した中村恵子さん(73)は取材に対して、「テレビで初めて中国のある大学の学生がこの舞踊劇を披露しているのを見た時、『戦争孤児が経験していることを見事に描写している』と感じ、とても驚いた。その後、この舞踊劇が頭に浮かんで、何日も眠れない夜が続いた。それで、私と同じ経験をした孤児の人とこの舞踊劇を練習し、育ててくれた中国のお母さんへの感謝を表してはどうかと、夫に相談した。練習に参加したのは70歳以上の高齢者ばかり。がん患者もいて、点滴が終わってすぐ後に練習に来る人もいた。踊りは下手で、手足の動きも機敏ではないが、みんな心をこめて踊っている」と語った。
「今回中国に来たのは、中国の養父母への感謝を伝えるほか、日中両国の民間の友好を促進するため。私達の活動を通して、中国は自分達の故郷であるということを忘れないよう自分に諭すと同時に、多くの人に過去の歴史を知ってもらい、悲劇が繰り返されることがないようにしたい」と中村さん。(編集KN)
「人民網日本語版」2015年7月17日