米国の一部政治屋は国際問題でダブルスタンダードを用いて、何かというといわゆる「米国は例外」を実行する癖がある。一言で言うなら、彼らの目には米国は当然永遠にルールの上にあり、ルールの物差しは他国を測るためのものであり、米国自身とは何の関係もないのだ。(人民日報「鐘声」国際論評)
ここしばらくの間、米国の一部政治屋はダブルスタンダードを用いて、貿易、債務、ルール、人権などの分野で怪気炎をあげ、混乱したロジックと傲慢な姿勢を露呈している。例えば世界貿易機関(WTO)のルールの問題において、これまで最大の「ルールを守らぬ者」が米国であるのは周知の通りなのに、米国の一部政治屋は白黒を逆さまにし、「WTOのルールを破壊している」と中国を非難する。世界の気候変動の問題でも、米国が共同文書で「気候変動」に言及するのを拒絶したために、北極評議会の閣僚級会合が20数年間で初めて共同声明を発表できなくなったのは明らかなのに、ポンペオ米国務長官は「中露両国は北極に環境破壊の脅威をもたらしうる」と主張する。これら全てが米国は「ルールの上に立つ」との虚妄の幻覚、欲しい物は何でも手に入れようとする横暴な思考傾向を露呈している。
「米国は例外」の本質は文明優越論だ。つまり米国は他のどの国とも異なり、「偉大であることが運命づけられている」うえ「必ず世界をリードする」のだ。例えば米国は長年にわたり中南米を自国の「裏庭」と見なし、悪名高い「モンロー主義」を仕立て上げ、何かというと圧力を加え、脅し、さらには他国の政権を転覆させて、中南米地域の平穏を奪ってきた。また、米国がいくつかの国々にいわゆる民主主義を輸出した結果、社会分断と集団間の対立を招いてきたことは、すでに人々の知るところだ。この観念が虚妄であるだけでなく極めて有害でもあることは歴史が証明している。
米国の一部政治屋が怖いもの知らずに、公然と「米国は例外」を実行できるのは、結局はその心に深く根差した覇権思考の災いがなせるわざだ。彼らはありったけの知恵を絞って様々な嘘を作り出し、様々な口実を探して、実質的に他国の正当な発展上の権益を圧迫する。これは政治的手段によってほしいままに経済活動を妨害する、いじめ主義的行為だ。ポンペオ氏は国家安全保障上の脅威を理由にあちこちで働きかけ、脅したりすかしたりして各国政府に華為技術(ファーウェイ)との協力を拒絶させようとしている。これはまさに米国の標榜する市場ルールや国際貿易原則をほしいままに踏みにじるものだ。これについての「ポンペオは冷戦時代の人間であり、現代世界でも依然として『米国は例外』と米国の覇権という神話に熱中している」との英紙ガーディアンの指摘は鋭い。
どんなに手際のよい手品でも、トリックが暴かれる時が来る。こうした米政治屋の矛盾だらけの言動なら、なおさらだ。彼らがダブルスタンダードでする事なす事、国際社会はとっくに知り抜いており、しょっちゅう笑いぐさに成り果てている。例えばペンス米副大統領が「中国の『債務の罠』に軽々に陥るな」としらじらしく他国に注意を促していることについて、パキスタン下院幹部は「彼ら自身が投資する時は貿易が目的だと言う。中国が投資する時は小国を奴隷化する陰謀として描く。これは偽りのダブルスタンダードだ!」と直言する。
「米国は他国に要求をする時、自らもルールを遵守する必要がある」。米政府の多くの手法に、ジェイコブ・ルー前米財務長官はこう注意を促さざるを得なくなった。
互いの結びつきが日増しに緊密化する地球村において、世界各国は歴史のどの時期にも増してルール意識を強化し、一致協力する中で人類社会の直面するリスクと試練に共同で対処することを必要としている。米国の一部政治屋に他国の正当な利益を犠牲にして自身の優位性を維持する権利はないし、ましてや道義にもとる軽率な行為によって「再び偉大になる」ことは不可能だ。ダブルスタンダードを遂行し、いわゆる「米国は例外」を実行するのは、国際ルールを意図的に破壊し、国際関係体制の安定に深刻な打撃を与えることだ。米コロンビア大学のジェフリー・サックス教授(経済学)が指摘するように、各国の利益が緊密に融合し、運命が密接に関係し合う時代において、「米国は例外」との論調は米国を「21世紀のならず者国家」に変える可能性が高い。世界の人々の心中には自ずと判断基準がある。どの国であれ、国際社会の一致して認めるルールと基準に違反して勝手な行動をすれば、結局は悪だくみの結果、かえって災難に遭うことになるだけだ。(編集NA)
「人民網日本語版」2019年5月28日