賀蘭山の東麓は中国のワイン醸造用ブドウが集中的に栽培されている生産地で、寧夏回族自治区を象徴する「紫色の名刺」となっている。20数年前に植えられた1株の苗から、今では整った産業チェーンとブランド影響力を持つようになり、かつては荒涼としていた土地でブドウ産業がたくましく成長している。(人民日報・顔珂、王漢超)
1996年、中国は東部と西部の協力による貧困者支援を国家重大戦略として配置を行った。当時、福建省委員会副書記を務めていた習近平同志は「福建省の寧夏ペアリング支援指導グループ」のグループ長となり、福建省による寧夏のペアリング支援の取り組みを主導し、「閩寧協力」もここからスタートした。
寧夏回族自治区の西海固地区は土地がやせており、水資源に乏しく、かつて国連から「最も人類の生存に適さない地区」に指定されていた。1997年、銀川市の南にあるゴビ砂漠に移民村が作られ、西海固地区から4万人以上の移民が続々とこの村に移住した。「閩寧協力」の友情を銘記するため、この村は閩寧鎮と名づけられた。
閩寧鎮の建設・移住と同時に、産業による貧困者支援の「先手」も打たれ始めた。ブドウ産業はその重要な一環だ。福建から来た企業家にとって、閩寧鎮が位置するこのゴビ砂漠は普通のゴビ砂漠ではなかった。賀蘭山の東麓に位置し、北緯は38.5度で、降雨が少なく、日照時間が長く、昼夜の温度差が大きく、砂の多い土には豊富なミネラルが含まれ、水はけがよく、ワイン醸造用ブドウの生長に必要な各種条件を満たしていた。
資金と技術が投入され、閩寧鎮のゴビ砂漠では黄土を緑の葉が覆うようになり、ワインの香りが漂うようになった。ブドウ産業のおかげで、移住してきた農民たちは安定した仕事と豊かさを手にすることができるようになり、すぐにこの地に根を下ろした。
隆徳県楊溝郷から閩寧鎮に移住した楊成さんは、辺鄙な山間地域にずっと暮らしてきた。以前栽培していたのはジャガイモと小麦で、一日中水のことで気をもんでいた。閩寧鎮に来てから、楊さん一家3人はブドウ園で働くようになった。楊さんは電気工の訓練を受け、妻は清掃の仕事をし、息子はショベルカーを操縦するようになった。今では、一家の月収は1万元(1元は約15.9円)を上回る。
楊さん一家が働くブドウ園は、福建省晋江市出身の陳徳啓さんが経営している。約6700ヘクタールの荒地からスタートした陳さんは、寧夏で一番優れたワインを作ろうという志を立てた。今では、陳さんが醸造するワインはほぼ毎年国際的な賞を獲得し、中国国内だけでなく海外にまでその名が広まっている。
2019年末時点までに、寧夏賀蘭山東麓のワイン醸造用ブドウの作付面積はすでに3万8000ヘクタールに及び、ブドウ産業は毎年、環境上の理由で移住した人々に約12万の雇用機会を提供している。
「塞上江南」と呼ばれる寧夏でワインを醸造し、農民たちは貧困から脱却して豊かになったが、「閩寧協力」は今もその歩みを止めてはいない。俗に、「酒香不怕巷子深(商品が良ければ宣伝しなくても消費者は求めに来る)」と言われるが、やはり宣伝は必要だ。優れた酒であれば、なおのこと優れた市場ルートとマーケティング手段が必要になる。
頼有為さんは福建省徳化県から来た出向幹部だ。寧夏に来てから、彼は何度も故郷である徳化の業者を寧夏に招いてワイナリーを回り、彼らにワインの買付を勧め、販売ルートを開拓した。今年5月には、頼さんはインターネットのライブ配信でライブコマースを行い、30万元の売上を上げた。
朱文章さんは福建省晋江市の出身で、賀蘭山東麓ワインの代理業者をしている。長年代理業者をしてきた朱さんは、高品質を追求するワインディーラーと数多く知り合い、革新的な「ワイナリー・シェア」モデルを打ち出すことを決意。朱さんの仲介により、50社以上の企業が寧夏で良質なブドウが実る200ヘクタールのブドウ畑のオーナーになり、毎年生産されたワインをシェアしている。こうすることで、買い手は自分のワイナリーを持つことができ、ワインの生産地を遡り、品質を管理することができる。一方、生産側は販売に頭を悩ませなくてもすむようになり、生産に専念することができ、生産量が安定し、高値で売れるようになった。
福建と寧夏が心を一つにし、石ころを金へと変えた。20数年来、ワインは「閩寧協力」によって進められてきた産業による貧困者支援の努力と成果を見つめ、多くの貧困世帯が貧困を脱却して豊かになるという夢を実現させてきた。今、ブドウ産業における「閩寧協力」はさらにグレードアップし、「山と海が交わる」夢がきっと絢爛たる花を咲かせることだろう。(編集AK)
「人民網日本語版」2020年11月25日