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富みを築くことのできる道を歩む雲南省の村・怒江のリス族

人民網日本語版 2020年11月11日15:51

雲南省福貢県鹿馬登郷の阿路底貧困支援移住・再定住エリアに足を踏み入れると、聞きなれた曲を傈僳(リス)語で歌う、美しい歌声が聞こえてきた。その声につられて福貢群発民族服飾加工専業合作社に入ると、浅黒い肌をした男性がリードしながら、研修に来ていた村民が大きな声で歌を歌っていた。

その男性は、合作社のリーダーである此路恒(ツルハン)さんだ。リス族のツルハンさんの話になると、村民らは次々サムズアップをして賞賛する。幼いころの病気の後遺症で、今も杖をつく彼は、不屈の精神と努力を糧に、村民たちの先頭に立って貧困を脱却し、富を築く道を突き進んできた。

雲南福貢県鹿馬登郷赤恒底村で歌を合唱するリス族の混声合唱団。画像は鹿馬登郷政府が提供

非常に険しいものの、壮麗な怒江大峡谷が、ツルハンさんの生まれ故郷。そこは、山に寄り添うように作られた村だ。貧しさから、ツルハンさんは中学校を退学した。そして、身体的な障害のため、思うように動くことができず、当初は家で簡単な手作業をするしかなかった。しかし、賢い彼は諦めることなく、家に富をもたらす道を探り続けた。

その後、建築の請け負いをして、ツルハンさんは人生で初めてまとまったお金を稼ぐようになったものの、2年後には、その手っ取り早く稼げる建築の仕事を辞めた。なぜなら「自分だけが豊かになっても意味がなく、故郷の皆と一緒に何かをやりたかった」とツルハンさん。

ツルハンさんは、「どうしたら村民らが技能と産業を持てるようになるのだろうか?」と、頭をひねり続けた。そんなツルハンさんは、伝統的なリス族の集落・赤恒底村のどの家の人も、糸を紡ぎ、布を織る技術や服飾加工の技術を持っており、そこにビジネスチャンスがあることに気付いた。手織りの麻布なら、利益が少ないものの、服に仕立てれば市場で良い値段で売れると考えた。

そこで、ツルハンさんは妻と共に、ミシンなどの機器、設備を購入し、民族衣装のデザインを始めた。すると、新作を出すたびに人気となり、供給が需要に追い付かないほどになった。

雲南福貢県鹿馬登郷赤恒底群発民族服飾加工専業合作社で仕事するスタッフ。画像は鹿馬登郷政府が提供

2013年、ツルハンさんは周囲にいる機織りができる村民に呼びかけ、福貢群発民族服飾加工専業合作社を設立した。その呼びかけに応じ、村の人々から集まった資金は100万元(1元は約15.9円)を超えた。加工生産設備を購入し、生産専門チームを立ち上げた。そして、これまで家庭規模の作業場で織られ、作りが粗く、製品のバリエーションが少なく、しかも規格がバラバラだったという欠点も改善した。

合作社の商品はリス族と怒(ヌー)族の民族衣装がメインで、顧客のニーズに合わせて、ツルハンさんはメンバーと共にバリエーションを増やし、新しいスタイルをデザインし続けた。その努力が実り、合作社が設立した当年に平均世帯収入2万元以上を実現した。

生産規模が拡大するにつれ、合作社の製品はブランディング効果を発揮するようになった。民族衣装を大きな産業にするため、合作社はブランド「紗蘭顔」の商標登録を出願した。現在、合作社は年間4万着の服を製作できる生産能力を備えており、その商品は怒江州現地だけでなく、ミャンマーやシンガポール、タイ、日本などでも販売され、年間売上高は370万元以上に達し、村民40世帯以上に富をもたらした。

「この産業を通して、収入が増えただけでなく、民族の伝統服飾文化を継承することもできた。そして村民たちは仕事をすることで、自信を増した」とツルハンさん。

最近、ツルハンさんはますます忙しくなっている。福貢県高黎貢山に帰ってきた人々を対象にした裁縫研修教室では、ミシンの「カタカタ」という音がずっと鳴り響いている。そこで、ツルハンさんは、リス族とヌー族の村民数十人を対象に技術研修を行っている。

研修に参加している人を見ると、20代の女性もいれば、50歳を過ぎたリス族の女性もいる。「村民に技術をマスターしてもらわなければならない」と話すツルハンさんの訓練を受けている人々は2ヶ月すると「独り立ち」し、自宅の作業場や怒江の各貧困支援作業場で働くようになる。

その他、ツルハンさんはオンライン販売プラットフォーム「中国民族服飾商城」の管理にも携わっている。「もっと発展するために、先を見据え、いろんなことを考えなければならない」とツルハンさん。

「人民網日本語版」2020年11月11日

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