騰龍閣
騰龍閣は隆中の山頂にあり、「外五内九」の建築構造をしている。騰龍閣は五代十国の時代には致遠閣と呼ばれ、宋・元の時代を経た。隆中の山頂にあり、修築が不便なため、明の時代になると破れ垣と壁だけが残り、基礎の部分がわずかに見て取れるだけだった。そのため明の成化年間(西暦1465−1487年)に隆中十景が形成された際に、致遠閣は含まれなかった。康煕年間になると、康煕帝は諸葛亮をいっそう崇拝するようになり、「惟諸葛亮如此」を記した。荆襄観察使の蒋心豈が武侯祠を修復した際に、壊れた致遠閣も修復された。諸葛亮は「臥龍」とも呼ばれ、隆中から出たため、「騰龍閣」と改名された。これは諸葛亮が隆中の山を出て、飛び立ったことを意味する。隆中風景区は1998年に騰龍閣の強化・保護工事を実施し、周囲に漢白玉の手すりを設置した。これにより騰龍閣という象徴的な建築物が、隆中の山頂で臥龍が空を飛ぶ風采を示し続けることとなった。
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