梅雨入り後、湖北省武漢市では8回にわたる豪雨に見舞われた。水害が発生する可能性が高まったことから、同市各区は先手を打ち、水害発生前に市民を避難させ、「被災」を「防衛」に変えた。7月に入り、水害防止対策プランに基づいて、武漢市は事前に市民を避難させているが、避難先の人々はどんな暮らしをしているのだろうか?今月20日、武漢市経済開発区(漢南)の避難所を取材した。人民網が報じた。
一晩で立ち上げられた避難所、カバン一つで避難可能
20日正午、何日も目にすることができなかった太陽がついに顔を出した。武漢経済開発区(漢南)の避難所では、呉雲堯さん(70)が、スタッフが配るお弁当を受け取り、笑顔でそれを食べていた。「ここで出るお弁当はとてもおいしく、家よりいい。食べきれないほどの量だ」と呉さん。避難所では1日3食が無料で配られている。
出水期のため、避難所に避難してきた市民の呉さん夫婦は、すぐにそこでの暮らしに慣れたという。子供は他の地域に出稼ぎに行っており、普段は夫婦二人暮らし。豪雨に見舞われて、不安な日々を過ごしていたものの、思いがけないことに、政府が先頭に立ち、呉さんらが避難所に避難できるように手配してくれた。
布団のシーツや洗面用品、さらに蚊取り線香、虫よけになる花露水などのほか、湯沸かし器や移動式トイレなども準備され、まさに「カバン一つで入居できる」状態が整えられている。
避難所では、静かで整然とした学校敷地内で、市民らがのんびりとした時間を過ごしていた。運動場の脇にある木の下では、高齢者が集まり、涼みながら、映画を見たりしているほか、卓球をしている人もいた。夜になると、広場ダンスを踊る人もおり、さらに賑やかになるという。
「避難というより、客として来たみたい」
「政府は本当に親切。住む場所や食事の心配をしなくていいだけでなく、世話をしてくれる医療従事者もいる」と話す呉介寿さん(77)は、これまで何度も水害に見舞われた経験がある。
例えば、1954年に水害が発生した当時、10歳だった呉さんは、両親と共に高い場所に逃げたことを覚えている。その時は、屋根のない所に避難するしかなく、日中は影もなく暑く、雨が降るとずぶ濡れになり、夜には蚊に刺され、土を固めて作ったかまどで作ったものを食べるしかなく、とてもたいへんだったという。
「今は避難所で、なにもかも整った生活を送ることができる。消毒も毎日2回実施され、医師が朝と夜に来て体温と血圧を測ってくれる。村の幹部も毎日来て、何度も見回りをし、被災者が午前に訴えた問題が、午後には解決されている。例えば、ここに来たばかりの時、ある人が、夜になると廊下とトイレが暗いと訴えたところ、その日の午後に解決してくれた。ここではお客さんのような生活だ」と呉さん。
曲口村に駐在するサポート役の第一書記・王勇さんは毎日、避難所で見回りをしている。「できるだけ細かい所まで気を配っている。例えば、滑ることがないように、トイレには滑り止めマットを敷いた。また、便利にシャワーが利用できるように、移動式トイレ30台、移動式シャワールーム8台を用意したほか、扇風機40台も調達した」と説明する。(編集KN)
「人民網日本語版」2020年7月22日