デザイン画を描き、材料をカットし、ワイヤーをくくり付けながら花の形を整えていく。こうして舒秋紅さんが、器用な手つきで仕上げた花の髪飾りを頭に付けると、明代風の漢服にピッタリなコーディネイトとなった。他の人にしてみると、ちょっと個性的なファッションかもしれないが、舒さんにとって漢服は「普段着」であり、買い物に行く時も、街をぶらぶらする時も、旅行に出かける時も、常に漢服を着ている。中国新聞網が報じた。
舒さん
貴州省の田舎で生まれた舒さんは、子供の頃から苗(ミャオ)族の刺繡文化の影響を受けて育った。そして、2015年に、北京の学校に通うようになったものの、偶然出会った「漢服」の虜になり、それを自分の仕事とするまでになった。
大学時代に漢服サークルに入っていた舒さんは、「漢服は、女性の淑やかさを存分に引き出してくれ、一目見ただけでその虜になった」と、「一目惚れ」や「どんどんはまっていった」という言葉を使って漢服に対する熱い思いを語る。
漢服仲間の間でも高く評価されている舒さん自作の花の髪飾り、かんざし、ヘアピンなど(撮影・趙暁)。
毎日違う漢服を着て、違うアクセサリーを付けるために舒さんは、たくさんの古書や文献資料を調べ、専門家に教えを請い、漢服やアクセサリーの作り方を学んだという。舒さんは、「自作の花の髪飾りやかんざし、ヘアピンは、漢服仲間の間でも高く評価されている。その達成感が、さらに多くのスキルを学び、さらに多くの作品を作る力になっている。中国にある『豈に衣無しと曰い、子と裳を同じうせんや(豈曰無衣、与子同袍)』という言葉から、漢服仲間は互いに『同袍』と呼び合い、漢服文化について語り合って楽しんでいる」と話す。
漢服仲間と舒さんが参加した山東省済南市の漢服イベント(画像提供・舒さん)。
大学卒業後、舒さんは教師の仕事をしながら、暇を見つけては漢服やアクセサリーを作成したり、漢服関連のイベントに参加したりしていた。その後、「漢服の夢」を追い続けるために、2019年に教師の仕事を辞め、山東省済南市で単身起業した。
2020年には新型コロナウイルス感染症の影響から、自分の店の売上がゼロになってしまい、舒さんは、抜け毛が目立つほどの不安に襲われることになった。苦しい状況が続いたが、漢服をあきらめることはできず、昼夜問わずドラマの撮影現場を訪れ、役者たちの衣装コーディネイトを担当することで、店の赤字を補った。 舒さんは、「一度きりの人生なので、自分の好きなことをして、それを極めたい」と話す。
舒さんにとっては喜ばしいことに、伝統文化が近年、現代の人々の生活に少しずつ溶け込むようになり、「国学ブーム」や「学問研究ブーム」、「漢服ブーム」が加速しながら盛り上がりを見せている。「漢服は今、一部のマニアの範囲を超えて多くの人の間で人気になっている。これは、中国人の中国文化に対する自信が高まっていることの表れだ。私の店の漢服レンタルやメイクアップ、写真撮影などの人気の度合いや各種アクセサリーの売れ行きからして、漢服はどんどん大衆化している」と舒さん。
「一人でも多く人が漢服を好きになり、普段着として着るようになることを願っている」と話す舒さん(撮影・趙暁)。
舒さんは、「漢服は外国人の間でも人気になっている。あるロシア人の女性は、私の店に来て、漢服をたくさん買っただけでなく、動画でロシアに住むお母さんにも薦めていた。中国の伝統衣装を着て、礼儀を重んじる文化を発揚したい。今後、もっと多くの人が漢服を好きになり、普段着として着こなし、中国の伝統衣装に新たな活力を吹き込んでくれると信じている」と話した。(編集KN)
「人民網日本語版」2021年5月18日