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「バスケットボール少女」から「トビウオ」に変身した両足を失った少女のシンデレラストーリー

人民網日本語版 2021年11月02日16:32

スタートのピストルが鳴ると、スタート台に「立って」いた銭紅艶さんは、両腕に力を入れて飛び込み、1分51秒96の成績で2位に食い込んだ。

身体障害者スポーツ大会・スペシャルオリンピックスがこのほど、陝西省で開催され、競泳女子100メートル平泳ぎ(運動機能障害SB5)で、「バスケットボール少女」として知られる銭さんが銀メダルを獲得した。試合後、銭さんは、「はじめは出遅れたけど、ちょっとずつ追い上げることができた」と、予想以上の成績に満面の笑みを浮かべた。

大事故が原因でバスケットボールが足代わりの生活に

1996年に、雲南省曲靖市陸良県の普通の農家に生まれた銭さんは、4歳の時に、トラックにひかれる大事故に遭い、骨盤から下を切断されてしまった。銭さんが学校に通うことができるようにと、祖父はバスケットボールを半分に切り、中に綿をつめて、銭さんの下半身に付け、さらに両手を支えることのできるコテのような木製の道具を作って、彼女が「歩ける」ようにした。そこから彼女は「バスケットボール少女」と呼ばれるようになった。

その時から、笑顔が素敵な銭さんは、苦難に直面しても下を向くことなく、数え切れないほどのバスケットボールが擦り切れるほど「歩き回り」、一歩一歩明るい未来に向かって歩んできた。両足を失い、半分に切ったバスケットボールを下半身に付けて「歩く」銭さんの姿に、多くの人が感動し、銭さんは各界からサポートを手にした。

「バスケットボール少女」から「トビウオ」に変身

11歳になった年、銭さんは雲南省身体障害者水泳チームに加わった。両足がないため、水の中でバランスを取るのは至難の業だった。「両足がないというのは舵のない船のようなもの。水の中では方向感覚がなくなり、左右に流れやすく、スピードにも影響が出る」と銭さん。そのため、コーチは銭さんのために、特別な練習方法を編み出した。

2007年9月11日、水泳の練習をする銭さん。

その頃、銭さんは毎日、4時間以上練習を続けた。また、鉄アレイを使って腕を鍛えたり、シットアップをしたりした。さらに、練習の合間にも、暇を見つけては、腕を鍛えたり、平衡感覚を鍛えたりした。こうした必死の練習が実り、水泳はどんどん上達し、水泳によって山村から世界の舞台に立つようにもなった。

2009年、銭さんは雲南省第9回身体障害者スポーツ大会で金メダル3枚を獲得したほか、18歳以下の身体障がい者が出場する全国水泳選手権でも金メダル1枚と銀メダル2枚を獲得した。また、2016年のブラジルリオデジャネイロパラリンピックにも出場し、競泳女子100メートル平泳ぎで9位に入賞した。2019年の天津身体障害者スポーツ大会では、競泳女子400メートル(運動機能障害S7)で、銅メダルを獲得した。

「バスケットボール少女」から、「トビウオ」へと変身した銭さんは、雲南省曲靖市陸良県の身体障害者聯合会で働く機会も得た。

銭さんは、「身体障がい者だからといって、不具とは限らない。身体障がい者のために何かをしたい。一人でも多くの身体障がい者が勇気を抱き、実際の行動で人生の価値を証明し、社会に貢献し、自分らしく生きることを願っている」と話す。(編集KN)

「人民網日本語版」2021年11月2日

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