四川大地震で右足を失った義足のモデル、ランウェイを歩く

人民網日本語版 2021年10月22日10:59

上海ファッションウィークで、義足のモデル・牛鈺(24)さんがランウェイを歩いた。機械の一部のような鉄の細い足で歩いた時間はわずか1分ほど。多くの観客はあまりに突然のことで反応できず、カメラを向けた時はすでに彼女の後姿しか見えなかったという人も多かった。しかし、その1分には、運命に屈することなく、伸び伸びと生きてきた彼女の長い24年間が詰まっていたとも言える。

牛さんは、「春游哥哥」というハンドルネームで、ショート動画共有アプリ「抖音(TikTok)」のアカウントを開設しており、フォロワー85万人を抱えている。そんな彼女は、11歳の時に、四川大地震で右足を失い、以前は「ランウェイとは全く縁がない」と思っていたという。

1997年生まれの牛さんの本職はショート動画の脚色演出家、写真家で、アルバイトで服のブランドのモデルの仕事することもあるという。

今回、上海ファッションウィークのランウェイを歩くよう服飾ブランドからオファーが来た時は、驚き、緊張したという。

ランウェイを歩いたことについて、牛さんは、「やっぱり、他のモデルには敵わない。義足なので、スポーツシューズなど、履き心地の良い靴しか履けないから。でも、それは小さな事で、1分間はなんとか持ちこたえた。どんなに難しいことでも、乗り越えられる。でも、心理的なハードルを越えるのは難しく、勇気を振り絞ってやっと歩くことができた。本当のファッションショーを初めて体験し、私にとっては大きな一歩となった」と振り返る。

四川大地震の被災者

3日間崩れた学校の下敷きに

牛さんは写真家で、モデルのアルバイトをする時もあるため、撮影される人の気持ちや状態も分かる。これまでに、服飾ブランドからモデルのオファーを何度か受けたことがあるが、義足なので、ゆったりとしたデザインの服である必要があり、これまでにパンク系の服のモデルをしたこともあるという。

「今回モデルとなったのはスポーツ系のブランドで、スタッフから、『義足とスポーツは全く異なる概念でつながりはないけど、スポーツに対する情熱の妨げにはならない』と言われて、とても感動した。確かに、片足を失って走ったり、飛び回ったりすることはできなくなったけど、卓球や水泳はでき、スポーツの楽しさを味わうことができる」と牛さん。

牛さんは2008年の四川大地震で右足を失った。当時、11歳だった彼女は、北川チャン族自治県の曲山小学校でがれきの下敷きになり、地震発生から3日後になってやっと救出された。

地震発生から丸10年経った2018年5月12日、彼女は汶川マラソン大会に参加した。そして、最後の数キロで、足の感覚がなくなり、もうダメだと感じた時に、「中国がんばれ!汶川がんばれ!」という周りの応援する声が聞こえ、力を取り戻して、ゴールまでたどり着いたという。小学生の時、牛さんは陸上選手だったものの、義足になってからはずっとマラソンをすることはなかった。2018年に初めてマラソン大会に参加したのは、「もう一度、自分に挑戦するため」だったという。

(写真ソース・ネット画像より)

マラソンの舞台で「復活」を果たした彼女は、「ショート動画ブロガー」というもう一つの舞台にも立つようになった。「この何年も愛に包まれて育ってきた。微力であるものの、私も何かしたい。街中で身体障がい者を見ることは少ないかもしれないが、公式統計では、2020年の時点で中国には8500万人の身体障がい者がいる。そうした人々のために何かできることをしたいと思い、ショート動画のアカウントを開設した」と牛さん。(編集KN)

「人民網日本語版」2021年10月22日

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