2015年10月9日  
 

中日対訳健康知恵袋 企画集 北京のお気に入り

Apple新浪騰訊人民LINE微信RSS
人民網日本語版>>中日フォーカス

日本人八路軍の筒井重雄さん 「中国の空軍パイロットを育てたことは一生の誇り」 (2)

人民網日本語版 2015年10月09日13:43

父・筒井重雄さんの写真を見せる筒井健史さん

それから1949年10月の新中国成立までの3年あまり、木暮さんを含む日本人の教官は120人のパイロットを育成し、さらに14人の女性パイロットも育成した。彼らは中国空軍部隊の中堅となった。開国大典の軍事パレードで、観閲を受けた空軍編隊のパイロットの約半数が、木暮さんの学生だった。息子・筒井健史さんは「父は、中国のために優秀な空軍パイロットを育成したことを最大の誇りと思っていた」と語る。

1958年、木暮さんは中国で出会った妻・美治さんと息子・娘をつれて、祖国へと戻った。自衛隊への入隊を断った木暮さんは、極右勢力からのしつこい嫌がらせを受け、仕方なく妻の実家である長野県に移り、名字を木暮から筒井に改名し、果樹栽培を始めた。

生活は質素で、政治的なプレッシャーは大きかったが、筒井さんは中日友好の活動に積極的に取り組んだ。1986年5月30日、時の中国人民解放軍空軍司令員・王海氏の招きを受け、筒井さんは中国の旧東北航空学校創設40周年式典に出席した。

2005年、筒井さんは在中国日本人反戦同盟元兵士の訪中団の一員として、中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利60周年記念活動に参加した。帰国前、空港に向かうバスで、筒井さんは胸につけた中国人民抗日戦争勝利60周年記念章を感慨深げに眺めていた。筒井さんは帰国後、この記念章をスーツにつけ、その後も重要なイベントには必ずこのスーツで出席した。

筒井健史さんは、「八路軍に参加したことは、父の人生において最も重要で、最も誇りに思う出来事」と語る。

9月3日、筒井健史さんは北京を訪問し、中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念活動に参加した。筒井健史さんは「中国人民解放軍の空軍のパフォーマンスが見られてとても嬉しい。中国空軍の発展を喜ばしく思う。父が生きていれば、感動して涙を流すに違いない」と語った。(編集SN)

「人民網日本語版」2015年10月9日


【1】【2】

関連記事

コメント

最新コメント