■今号の人物
陳正、男、1970年生まれ。北京平易口腔専門家外来医療総監、衛生部専門家認定医、北京市小中高生虫歯予防活動チーム代表、農工民主党海淀第三支部副主任。1991年に中国科技経営管理大学口腔医学専業大学専科、1996年に錦州医学院口腔系口腔医学専業大学を卒業。1998年に日本に留学し、2000年に日本大学口腔医用工学の修士課程を修了。2000年に帰国後、口腔医療事業に従事し、現在に至る。
■記者の手記
同じ都市に住んでいながら、私と陳正さんとは普段はあまり会う機会がない。前に会ったのは、数カ月前に行われた日本留学経験者の植樹ボランティア活動でのことだった。口腔医療事業に従事する陳さんは、仕事の面ではまったくいい加減なところがなく、生活の面では細かい観察のできる人だ。日本でも多くの個性的な体験をなさっており、私達の知らない角度から新しい日本を見せてくれる。陳さんの診療室の壁には、「患者に痛みを感じさせるのは人道的にあらず」とのユニークな標語がかかっており、やってきた患者に親しみを与える気配りが感じられる。
■インタビュー
私が約束の時間に診療所に着くと、陳正さんはもう受付カウンターで待っていた。診療所の受付(待合室)は大きく、4つの診療室があり、多くの医師が患者に医療サービスを提供している。そのうち2つの診療室の壁には、患者から贈られた感謝の旗が飾られている。陳さんとは親しい間柄なので、挨拶などは抜きにして、すぐにインタビューを始めた。
----陳さんはいつ日本に留学したのですか。当時の中日両国の交流はどのような状態でしたか。
私が留学したのは90年代末のことです。98年4月のことだと思います。その頃、海外留学はまだ簡単ではありませんでした。私の場合は、同級生がすべての手続きを手伝ってくれましたので、個人的にはそこまで困難は感じませんでした。
----どうして日本に留学したのですか。当時の中国社会はどのような状況でしたか。
私が日本に留学したのは、私にとっても意外なこと、想定外のことでした。日本への留学から帰ってきた高校の同級生がいて、海外の状況を話してくれ、外国に行ってみるべきだとすすめてくれたのです。これがきっかけで日本への留学を決めました。この友人はまた、留学の各種手続きも手伝ってくれました。
当時の中国社会は比較的安定していて、人々の生活にはあまり格差がありませんでした。社会の建設があちこちで進んでいて、国家の実力が日増しに高まっていた時期でした。
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診療所の受付カウンターにいる陳正さん。 |