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診療室にいる陳正さん。 |
----日本に最初に着いた時には何を感じましたか。周囲の環境や異国の文化に抵抗を感じたり、両国の文化や風俗の違いで困ったりしたことはありませんか。
着いたばかりの時は、独特の空気を感じ、異国に来たのだという感覚を強く持ちました。でも私は、日本の文化をとても好きになることができました。私が日本で素晴らしいと思うのは、人と人との間の信頼、人々の自律の態度です。相互に信頼感があるので、多くの場合、特に心配することなく、相手を信じることができます。日本滞在時、私は日本人ととても愉快に付き合いましたし、みなさんも私のことを受け入れてくれました。日本の文化、一般の日本の人々を好きになることができました。
----日本に着いた後、日本や日本人に対する見方は変わりましたか。
特に変わったところはないですね。でも日本に着いてからわかったのは、日本では、やることが優れていれば、周囲の人の評価や賛賞、肯定を得られるということでした。日本への留学は、私の人生に多くの変化をもたらし、積極的な意義や想像力も与えてくれました。日本に行く前には、私は、人との交流や社会的な礼儀に対して特に注意を払っていませんでした。日本に着いた後は、話の仕方から物事の進め方まで、すっかり変わってしまいました。例えば、自分の言うことにもより慎重になりました。一度約束したことはできる限り実現するということがとても重要です。また日本で注意しなければならないのは、自分で車を運転する時にも、他人の車に乗る時にも、シートベルトを締めなければならないということです。私は日本から帰ってきてからも、運転席にいても、助手席にいても、後部座席に座っていても、必ずシートベルトを締めるようにしています。この点、日本ではとても良い習慣を身につけています。
----日本には何年留学しましたか。最も印象的だったできごとは何ですか。
日本には2年余り留学しました。最も印象深かったことと言われても、すぐには思い出せませんが、私にとって日本での生活は“行雲流水”(雲が行き、水が流れる)、当たり前のことを自然に学んでいったという感覚です。そう言えば、日本の警察に対しては印象深い思い出があります。ある時、携帯電話をなくしてしまったのです。一番簡単なのは、新しい携帯を買うことでした。しかし当時、私の日本人の同級生が、電話が要るか要らないかはともかく、警察に届けるべきだと助言してくれたのです。この友人が付き添ってくれ、警察に遺失届を出しました。届けを出した後も、実は、見つかるとは思っていませんでした。しかし少し経ってから、警視庁の係官から、携帯電話が届いたという知らせがあり、とても驚きました。その時、私はもう違う携帯電話を手に入れており、なくした携帯電話が戻ってくるとは思っていなかったのです。こうした事情も警察は察したようですが、携帯電話が要らなくなったとしても受け取りの手続きに来なければならないとのことでした。警察署に訪れた後も対応はきちんとしており、携帯電話を拾った人の電話番号と住所を渡され、都合のいい時に感謝の連絡をするように言われました。こうした小さな事が、私にとっては心を動かされた思い出として残っています。携帯電話の受け取りにも一切の費用はかかりませんでした。日本の警察は、こうした小さな事も重要な仕事として真剣に取り組んでいるのです。警察についてもう一つ印象深いのは、警察車両も日本では庶民と同様、交通規則を守らなければならず、いかなる特権もないということです。私達の学校の前は一方通行の道路になっていたのですが、たぶん現地の警察ではない警察車両が、ある時、この道に方向を間違えて入ってきたのです。間違えたことに気付いた車両はゆっくりとバックし、違う道に入って去って行きました。この事も印象深く記憶しています。私は警察官に、公務を執行している時には一定の特権があるのではないですかと聞いたことがあります。その警察官によると、どんな時にでも一般の人々と同様に法律を順守しなければならず、いかなる特権もないということです。
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