2019年3月6日は、競泳・寧沢涛選手の26歳の誕生日だった。同日午後3時6分、彼はSNSで現役引退を表明した。感情豊かで注意深いが、何かと決別するときには極めて潔いという「うお座」生まれらしい行動だった。
「競泳王子」と称される寧選手は、韓国仁川(インチョン)で2014年に開催されたアジア競技大会で一躍脚光を浴び、翌2015年にロシア・カザンで開催された水泳世界選手権大会男子100メートル自由形で47秒84のタイムをたたき出し、金メダルに輝き、アジア選手として初めて、世界選手権の男子短距離自由形種目の覇者となった。この優勝は、アテネ五輪での劉翔選手の金メダル獲得に肩を並べるほどの栄誉だと世間から評価された。彼はその後、将来への意欲に満ち、劉翔選手のように、「中国男子水泳界の突破口となる」という目標を抱いた。
しかし2016年は寧選手がまさに頂点から滑り落ちる1年となった。個人スポンサーと国家代表競泳チームのスポンサーとの間にトラブルが生じ、中国国家体育総局競泳管理センターから処罰を受けることになった。最終的に、同年開催されたリオデジャネイロ五輪の代表メンバーに何とか選ばれたものの、ベストコンディションとは言い難い状態だった寧選手は、男子50メートル自由形・100メートル自由形の両種目ともに、決勝に進むことはできなかった。
2016年の訓練を中断することになったトラブルとリオ五輪での燦燦たる成績にくわえ、「無許可で広告のイメージキャラクターに就任し、国家代表競泳チームの決定に従わなかった」などの規則違反行為を指摘され、彼は国家代表競泳チームから外された。その後、寧選手は次第に世間の関心からフェードアウトしていった。
2017年の全国体育大会に寧選手は復活を賭け、河南チームから出場した。同大会でのタイム47秒92はかつての絶頂期の姿を人々にわずかながら思い出させた。しかし寧選手の成績はその後も上向きになることはなく、2018年には全国競泳チャンピオンシップ大会への出場を逃し、ジャカルタのアジア競技大会にも出場できなかった。
国家代表チームへの復帰を果たせず、マイナーな大会にしか出場することができなくなった。人々は寧選手が世界選手権やオリンピックへの復活の可能性がないのなら、練習を積んでも意味はないと考えているのではという憶測を抱いた。だが、そんな世間の憶測とは関係なく、彼は自ら、「過去の栄光と決別し、人生を新しくやり直そう」と決心した。
河南省競泳運動管理センターの楊青山センター長は、メディアの取材に対し、「寧選手は先週、引退届を提出した。省体育局と省競泳運動管理センターは、幾度か慰留を試みたが、徒労に終わった。個人的な理由から、彼の引退に対する決意はかなり固く、我々は本人の意思を尊重するしかない」と述べた。現役引退の兆候は、実は、彼が昨年末に出場した豪クィーンズランド州選手権水泳競技大会の終了後から見られたという。彼はずっと訓練を半分休んでいるような状態でプールに入ってトレーニングしても、そのウェイトはすでにかなり減っていた。
人々の関心を集めているのは、寧選手の今後の動向に関してだ。彼自身は、「まずはゆっくり休んだあと、学校で勉強したい」と答え、「文化とスポーツは分けることができないが、私が芸能界に入ることはあり得ない。というのも、これは私の家族にとってのボーダーラインであり、私自身にとってのボーダーラインでもあるからだ」と続けた。事情を知る関係者によると、寧選手は、自身の将来に対する青写真をすでに描いているという。また、彼がシンガポールの競泳チームに入るのではという噂を否定した。
ショート動画アプリ「梨視頻」の報道によると、寧選手の外国人コーチ・ブラウン氏は、同選手が引退を決意した最大の理由は怪我であるという見方を示している。昨年10月に山東省日照市で開催された大会で、寧選手は指を負傷した。怪我の程度はかなり深刻で、3週間休んだのち、12月に復帰したが、その時も負傷した指はまだ腫れていた。その後、北京で医師の診察を受けたが、その怪我から完全に回復できる可能性はないと判断し、その時点で引退する決意をしたという。(編集KM)
「人民網日本語版」2019年3月7日