ここ数年、海外を訪れる中国人観光客が急増し、海外でのマイナス面に関する報道がしばしばみられ、「マナーのよい」日本人観光客とわざわざ比較するものもある。だが、「日本経済新聞」は、日本人観光客のマナーが向上したのは最近のことに過ぎないとの見方を示す。日本語の「観光摩擦」という言葉は、観光客が海外で文化的な差異や個人的なマナーの問題により、現地の文化に受け入れられなかったり、住民と衝突したりすることを指す。興味深いのは、これが元々は日本人自身を表す言葉だったことだ。「環球時報」が伝えた。
▽「やりたい放題の新しい野蛮人」
日本人観光客が海外に行くようになったのは1960年代のことだ。64年に東京五輪が開催されると、日本政府は国民の海外旅行制限を撤廃し、ハワイやアラスカなどのリゾート地が日本人に一番人気のある旅行先になった。だが、当時の海外旅行は非常に高額で、ハワイ9日間の団体ツアーが36万4千万円もし、当時の国家公務員の初任給の19倍だった。よって制限が撤廃されても、64年の出国者数はのべ12万8千人にとどまり、海外土産といえば洋酒、タバコ、高級な香水が中心だった。その後、日本観光振興協会などの業界団体がツアーを組み、サービスを打ち出したおかげで、出国者数は69年にのべ49万人に増加した。
初めて外国に出かけた日本人の旅は決して順調ではなかった。日本の風俗習慣や生活習慣が西側諸国と異なるため、文化的な衝突は自然避けられないものとなった。
欧州を旅行する日本人に最も多く寄せられたのはマナーに関する批判だった。スリッパでホテルの廊下やロビーを歩き回る、だらしない格好でホテルの朝食会場に現れる。こうした日本人にとっては大した問題ではないような細かい点を、欧州の人々は受け入れなかった。今年70歳になる高山さんは、80年代に欧州旅行に出かけた日本人を振り返り、「日本人の中には酒を飲むのが好きで、飲むと飛行機の中で大声で卑猥なことをしゃべるという傍若無人なふるまいをし、酒の勢いを借りてキャビンアテンダントにセクハラをする人もいた。レストランではナイフやフォークがうまく使えず、無理矢理はしを持ってこさせることもあれば、ベッドは慣れないからと、布団を床に敷いて寝る人もいた」と話した。80年代の米誌「タイム」は日本人を「世界各地の観光スポットでやりたい放題の新しい野蛮人」と評した。
70〜80年代に、日本経済は高度成長を遂げ、国民の所得は大幅に増加した。特に80年代に入ると、バブル時代に突入し、国力も国民経済も大きく膨らんだ。このあたりから、日本人の海外旅行先はハワイ、アラスカ、エジプトなどの風景や名所に魅力がある国・地域から、欧州などの経済が発達し、消費水準の高いエリアへと移り変わった。旅行の目的も単なる観光やレジャーから観光と消費の両立へと変わった。50代の吉村さんは当時を振り返り、「84年に会社の旅行でパリに行った時のこと、大勢の日本人がパリのブランド店に押し寄せ、ブランド品を買いあさる姿はまるでバーゲンセールのようだった。周りにいる外国人は目を見開いて、なんとも言えない表情で日本人を見ていた」と語った。
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