道義の高地は背信行為を許さない 米政治屋たちの本性 (2)

人民網日本語版 2019年06月11日15:34

国際道義に対する米国の歪曲と蔑視によって、米国の一部政治屋の極端なプラグマティズム的手法が暴露された。彼らにとって国際的な付き合いには全く価値もルールもなく、露骨な利益交換を除けば、力による対抗であるらしい。そして、いわゆる「道義」は彼らが発言力を奪取し、世論を形成し、最終的に私利を図るための道具に過ぎないのだ。米国の学者ローレンス・ダガンは「米国の政策は『理想』の旗印を掲げた、形を変えた帝国主義だ」「道徳的に高尚なレトリックを用いて、他国を損ない自国を利する行為について釈明する」と鋭く指摘した。こう考えると、なぜ米国の一部政治屋がいつも口先で言う事と実際の行動が異なり、国際ルールを「都合が良ければ用い、都合が悪ければ捨てる」のかは理解に難くない。

「人は徳無ければ立たず、国は徳無ければ興らず」。真の国際道義は国際的発言力の基礎であるのみならず、特定の問題に対する国際社会の共通認識を代表するものであり、特定の価値理念に対する人類文明の尊崇の表れだ。例えば、他国に災いを押しつけるのではなく、助け合い協力すること。二転三転するのではなく、信用を重んじ約束を守ること。唯我独尊の覇権主義に走るのではなく、尊重し合い、他国と対等に接することだ。一般的に認められた価値・準則を何はばかるところなく踏みにじっていては、国際社会の強い非難の的となるだけだ。まさに「道理にかなえば支持者が多くなり、道理に背けば支持者が少なくなる」という道理を、米国の政策決定者はわきまえるべきだ。

世界の大国である米国は、しかるべき責任を引き受けて当然だ。複雑な問題を前にした時こそ、自らの規模に見合った風格と知恵をはっきりと示すべきだ。現代世界では一国の国際的影響力は単純にその力によって決まるのではなく、結局拠り所となるのは共通の価値をしっかりと守り、より広範な共通認識の形成、より広範な協力の実現を後押しし、最終的に互恵・ウィンウィン、共同発展を実現することであるということを知る必要がある。

国は正々堂々としていて初めて、世界の人々から認められる。最も基本的な道理をわきまえるよう、米国の一部政治屋に忠告する。つまり、道義の高地は背信行為を許さず、背信行為で自らの国と国民に対して責任を持つことはできず、世界の発展と人類文明の進歩に対して責任を持つこともできないということだ。(編集NA)

「人民網日本語版」2019年6月11日

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