中国にはこれに対し疑問を呈する理由が十分にあると言える。
(1)中国のような強大なエコノミーが、主に自らの努力と時代のもたらした歴史的なチャンスによって、世界の注目を集めるような輝かしい成果を得たことは事実ではないのだろうか?そして十分凄いことではないのだろうか?
(2)近代以降、中国というかつての大帝国は散々列強に辱められてきた。歴史の悲しみに満ちた中国の国民が今日、中国の得た輝かしい成果を目の当たりにして、「凄い」と称えることは、行き過ぎであり、過ちだというのだろうか?
(3)では逆に、「巨象」とも言える大国の中国が、灌木の茂みに隠れ、世界に対し、「ちっとも凄くはないから、注目しないでくれ」と言ったら、世界は、そして米国は信じるのだろうか?
(4)米国の戦略や政策を決定する人々の判断力は幼稚園児レベルほどでしかなく、まるで夢から覚めたばかりのように、まったく根拠も何もなく、突然中国世論に警戒心を触発されたとしている。それはわけがわからなくはないだろうか?それを信じるべきなのだろうか?
過去1年以上にわたり、米国がその言動をがらりと変え、一歩一歩厳しく追い詰めてくるのを目の当たりにし、中国社会はかえってもめ事を恐れず、まともでないものを信じない勇気を強めた。中国政府は貿易戦争を望まないが、恐れもせず、必要時には戦わざるを得ないという姿勢によって、道義を堅守し、決意をはっきりと示した。落ち着いて対処する果敢な一連の対抗措置をネットユーザーは次々に称賛し、「凄いぞ、我が国」と心から声を発している。(編集NA)
「人民網日本語版」2019年6月19日