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中国滞在25年の日本人外交官「中国の元抗日兵士と固い友情結ぶ」 (3)

抗日戦争勝利70周年インタビューシリーズ第12期

人民網日本語版 2016年01月06日09:42

1991年12月13日付の「羊城晩報」に掲載された「残り飯を食べた『領事パパ』から考える」

 「私はこの人が戦後に出会った最初の日本人だった。会った時、彼の表情はとても険しく、日本人への憎しみがにじみ出ていた」。瀬野氏はこの元兵士と出会った時のことをこう振り返る。だが瀬野氏はこれで元兵士との交流を諦めようとはしなかった。心にわだかまりがある時こそ交流が必要だと考えたからだ。瀬野氏はその後、元兵士の家を何度も訪ね、ともに飯を食い、お酒を飲んだ。元兵士も招かれて瀬野家の客となった。

 「このような行き来の中で、この元兵士は日本人への敵視をやめていった。日本人も皆と同じ人間であり、中国人と日本人も仲良く付き合うことができると考えてくれるようになった」

 この元兵士との交流を瀬野氏はよく憶えている。元兵士が世を去った後、瀬野氏は葬式にも参加し、別れを告げた。今になっても、瀬野氏は、この元兵士の孫と連絡を保っている。元兵士の一家との友情はもう20年余りも続いている。「これもまた代々の友好ということの一つだ」

 もう一つのエピソードは、在広州日本総領事館で領事を務めていた時のことで、この時ははからずも有名人となってしまった。当時、広州には日本人学校がなく、瀬野氏の子どもは現地の中国人の子どもと同じ学校に通っていた。中国人の子どもは、学校の昼飯がおいしくないと感じると、一口食べてもう食べないという子どもがよくいる。瀬野氏の子どもも残すことがあって、そんな時には弁当箱に入れて持って帰った。ある日、学校に子どもを迎えに行った瀬野氏は、弁当箱に残した昼食があるのを見て、その場でぱっと平らげた。

 周囲の中国人は瀬野氏のこの行動に気付き、たいそうこれを褒めた。日本人は生活が豊かなのに、倹約という美徳を保っているというのである。このことが伝わるとまもなく、現地の新聞社が「残り飯を食べた『領事パパ』から考える」という記事を載せ、人々に食べ物を節約するよう呼びかけた。その後、広州の町中では、「節約は美徳である」「残飯は持ち帰ろう」などのスローガンが出されるようになり、食事を節約する運動が沸き起こり、中国のほかの地域にまで広がった。瀬野氏は、「レストランで食事をする時に残飯を持ち帰るのはこうして習慣になった。この習慣を先導したのは私だとも言える」と語る。

 瀬野氏は、外交の仕事に携わるにあたって、誠意と誠実という理念を掲げてきた。この理念は、自分の大学時代の恩師から受け継いだものだという。瀬野氏にとってこの教師は、人生を導いた人物ともなった。中国に仕事に来る前、瀬野氏はこの教師と語り合った。教師は瀬野氏に、ノーマン・ベチューンのような人間になれと言った。自己の利益を顧みず、誠心誠意で他人に尽くしたベチューンは、中国とカナダの関係にも積極的な影響をもたらした。国家と国家の関係は、人間と人間とによって作られるものである。だからこそ誠意が極めて重要なのであり、交流においては触れ合ったすべての人を重視しなければならない。瀬野氏は、「恩師のこの言葉が私の仕事の理念と人生の目標となった。複雑な問題に出会った時にも、辛抱強くわかりやすい形で意思疎通を図り、相互の誤解や疑惑を払拭することが必要だ」と語る。


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