矛盾した日本人像 礼儀正しく親切で、冷淡で不寛容? (2)
この女性教師は私より少し年上で、長く日本語を教えており、学校では比較的経験豊かな教師であると同時に、若干人に威圧感を与えるベテラン教師でもあった。あの頃、この教師は30代で未婚だった。清潔感があり、有能だったこの教師に初めて会った時、一番上の姉に似ていたこともあって、好感を持った。
中国で多くの日本人と接した時と同様、私の中には上下関係や親密度による関係の違いというものが存在していなかった。この教師は正式な教師であり、私はただの留学生で日本語学校の代理教師だった。しかし、私は自分自身を正式な教師として考えており、ある意味平等な態度で日本人教師とつきあっていた。
日本に留学してから知ったのだが、80年代初めに中国に来ることができた日本人、特に私が中国で出会った人々の大部分は、少なくともテレビの中で見るような日本のエリートだった。中国では通常、このようなエリートとも平等に付き合ってきたので、日本語学校の教師たちと一緒にいる時はなおさら、社会的地位の差など意識していなかった。
普段話す言葉の中に無意識にこういった態度が現れていたのだろう。ある時、この女性教師が私に対して非常に不満を感じていることに気付いた。この教師は、代理教師が職員室にいる時は、正式な教師より下の立場としてふるまわなければならないという考えを持っていた。しかし、私はその頃20代と若く、こういった配慮に欠けていた。徐々にこの教師の私を見る目がとても冷たいことに気付き出し、この教師との間に距離を置かざるを得なかった。
「日本茶はお湯に直接浸したら駄目なの。誰が急須にお茶の葉を入れたの?」。私が急須に直接お茶の葉を入れたのを見たこの教師は、非常に大きな声をあげて詰問し、私が中国から来たばかりで、お茶の入れ方さえ知らない代理教師であることを意識させ、他の二十数人もの教師たちの前で私に屈辱を与えた。私は、お茶を入れたのは自分であり、日本茶を直接お湯に浸してはならないと知らなかったことを認めると、この教師は「こんな常識もないなんて、日本のことどれだけ知っているの?」と更に屈辱的な言葉を口にした。
意識的に辱められたこの時から間もなくして私は日本語学校を辞めた。後になって私の中で常にある考えが浮かんで離れなくなった。かつて中国で出会った、或いはテレビで見る日本人は皆礼儀正しく、親切で、配慮があったのに、なぜ日本に来ると、周囲の日本人の態度が突如横暴で理屈が通用しない、冷淡で非情なものに変わったのだろうか?
地位や年齢が低く、知識も不足している新参者にとって、日本の社会は寛容さやおおらかさに欠けている。この社会では、あらゆる人は属するそれぞれの団体の中で序列化されている。それは、時に年齢、時に社会的地位によって序列化され、平等さを欠いている。そして、この平等が脅かされる時、不寛容さは冷淡な方法や凄まじい圧力となって、人々を抑圧し息苦しくさせる。