尖塔の焼失がフランス人に意味することとは? ノートルダム大聖堂大火災 (3)

人民網日本語版 2019年04月16日16:34

フランス近代史の生き証人

ノートルダム大聖堂は、まるで世の中の変遷を経験しつくした長老のように、フランス近代史で生じた重大事件のほぼ全ての生き証人であると言っても過言ではない。

1239年、聖王ルイ 9 世はキリストのいばらの冠をノートルダム大聖堂に収めた。

1302年、フランス国王フィリップ4世国王は、ローマ教皇に対抗するために全国民を動員し、ノートルダム大聖堂でパリ市民全員が参加した「三部会」を開いた。これが、フランス史上初めて、市民が参加した最初の三部会(議会)となった。

1455年、フランス民族の英雄女性ジャンヌ・ダルクの冤罪を晴らす儀式がノートルダム大聖堂で挙行された。英仏百年戦争(1337年―1453年)中、ジャンヌ・ダルクはフランス国軍を率いて英国軍の侵入に抵抗し、フランス全土に名が広まった国民的英雄となった。

1804年、ナポレオンはノートルダム大聖堂で戴冠式を行い、皇帝の座に就いた。ただやや気まずいことにナポレオンはローマ教皇から戴冠されることなく、自ら王冠をかぶった。フランスの著名画家ジャック=ルイ・ダヴィッドの傑作「ナポレオンの戴冠式」では、この様子が精緻なタッチで詳しく描かれている。

1831年、当時29歳だったヴィクトル・ユーゴーは、「ノートルダム・ド・パリ」を発表、フランス文壇界を大いに沸き立たせた。

1944年8月26日、フランス国民は、ノートルダム大聖堂で、パリ解放を記念する式典を開いた。

1945年、フランス国民は、ノートルダム大聖堂で賛美歌を歌い、第二次世界大戦の勝利を祝った。

1970年11月12日、フランス国民は、ノートルダム大聖堂で、彼らが尊敬するシャルル・ド・ゴール大統領の告別式を厳かに開催した。(編集KM)

「人民網日本語版」2019年4月16日

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