「高いところの柿はこれで取るんだよ」。陝西省渭南市富平県の三河村で柿の栽培と干し柿作りをしている黄戦軍さん(74)は、自宅横の道具置き場で、長いポールの先にハサミが取り付けられた道具を見せてくれた。「日本で一時期柿もぎの仕事をしたことがあるんです。高いところにある柿を取る時は脚立を使ってたんですよ」と言うと、黄さんは「そうかそうか」とでも言うように目を細めた。人民網が伝えた。
長いポールの先にハサミのついた収穫用の道具を見せてくれる黄戦軍さん(陝西省渭南市富平県三河村で撮影・勝又あや子)
富平県はもともと干し柿の栽培が盛んな地域で、糖分が浮いて白く粉を吹いたようになった「霜柿」という干し柿が美味しいと評判だ。富平県では、干し柿生産による村おこしに力を入れている。
富平産の干し柿(撮影・勝又あや子)
富平県では、2400ヘクタールの土地に柿の木が植えられている。年間で柿25万トンを収穫、干し柿6万トンを生産し、年間生産額は40億元(1元は約16.7円)に上る。三河村では柿1500トンが収穫され、干し柿600トン余りを生産。2020年、村全体の農民の一人当たり純収入は1万9510元に達した。
ここで生産される「富平尖柿」は国家農産品地理的表示登録保護産品で、「富平柿餅(干し柿)」は国家地理的表示証明商標となっている。地名が表示されたブランド柿として認められているということだ。
たわわに実る富平県三河村の尖柿(提供・富平県三河村美麗郷村弁公室)
中国の柿は丸くて平べったい形の品種が多いが、この地で作られている尖柿という品種は、その名の通り尖った細長い形をしている。尖柿は渋柿なので、収穫してすぐ直接食べることはできず、干し柿に加工される。
4月20日、富平県で柿農家をしてきる黄戦軍さんの家を訪ねた。黄さんの家では、約3300平方メートルの土地で柿を栽培している。柿農家になって15-6年になるという。
富平県三河村で柿農家をしている黄戦軍さん(撮影・勝又あや子)
「以前は植えるのも管理するのも自分、加工するのも販売するのも自分でやっていた。1年の収入は多くても5万元程度だった」と言う黄さん。今では年間の柿収穫高は10トンに上り、去年加工した干し柿は5トン、一年の粗利は約10万元に達した。「今は村がまとめて売ってくれるし、買い付ける時の値段も統一されている」と黄さんは言う。
三河村では、村ぐるみで干し柿産業振興に取り組んでいる。その大きな柱として、村が等級分けと包装を行い、富平産干し柿の競争力と販売価格を高めている。それと同時に、買付価格の変動や売れ残りなどのリスクを村が負担する。以前は買付業者が農家ごとに買い付けており、買付額の幅が大きかった。例えば2016年の買付額は500グラム5元だったが、買い叩かれて3元や4元で売っていた農家もあったという。今は価格が統一されたほか、貧困世帯の場合はそれに0.2元上乗せされる。
柿を干す道具を見せてくれる黄戦軍さん(撮影・勝又あや子)
黄さんの自宅は2階建てで、2階の大部分が柿の干場になっており、黄さんの柿畑が見渡せる。干場の天井にはポールが何本も渡してあった。北京郊外などでよく見かける干し柿は上から潰したような形をしているが、富平県の干し柿は、日本と同じように紐に括って吊るす方式だ。紐にはプラスチック製の羽根のようなものが取り付けてあり、そこに皮を剥いた柿の軸を挟むようにしてぶら下げる。これを干し場の天井にあるポールに掛けて垂らすのだ。黄さんによると、「紐の片側に26個、両側で合計52個。羽根1つに柿を4個ぶら下げられるので、1本の紐で柿が208個干せる」のだという。
柿を干す作業(提供・富平県三河村美麗郷村弁公室)
柿の収穫は機械を使わず、人の手で行われる。収穫した柿は皮を剥き、干し場で陰干しにする。出来あがった干し柿を味見させてもらうと、ふっくらとして果肉がみずみずしかった。甘さもしつこくなく控えめで上品な味だった。
富平産の干し柿「富平柿餅」。甘さは控えめで、果肉がみずみずしい(撮影・蘇纓翔)
個包装された富平産の干し柿「富平柿餅」(撮影・勝又あや子)
ひとしきり話を聞いた後、家の門のところで黄さん夫妻の記念写真を撮らせてもらった。干し柿よりも甘い、いい笑顔だった。(文・勝又あや子)
自宅の前に立つ黄戦軍さんと妻の王淑芳さん(撮影・勝又あや子)
「人民網日本語版」2021年4月22日