四川大地震から14年 救出された子供たちの今

人民網日本語版 2022年05月13日11:06

四川省アバ・チベット族チャン族自治州汶川県で2008年5月12日午後2時28分に発生したマグニチュード(M)8.0の大地震を中国の人々は決して忘れはしない。この大地震で数万人の命が奪われ、国中が悲しみに包まれた。そして自然災害を前に、救助隊員たちは数々の奇跡を起こし、多くの人の命を救った。あれから14年が経った今、救出された子供たちはどうしているのだろうか?

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2008年当時11歳だった饒洪銀さんは建物が崩れて生き埋めになり、数時間後になってようやく人民解放軍の兵士に救出された。

地震で崩れた家屋(撮影・饒洪銀)。

その後、饒さんは三峡大学に進学し中医学を学んだ。しかし、救出された経験が、彼の心に軍隊に入って祖国のために尽力したいという種を植え付けていた。

そして2020年9月、大学院試験の合格通知を受け取っていた饒さんだったが、軍に入隊することを決意。「解放軍が僕の命を救ってくれた。そして軍が僕をさらに磨いてくれている」と饒さん。

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2008年当時9歳だった湯星月さんは、地震で建物が崩れて生き埋めになり、6時間後に救出された。しかし、脊椎を損傷したほか、股関節が脱臼し、身長が130センチで止まってしまった。子供の頃から歌が大好きだった湯さんは地震後も、歌い続け、親切な人のサポートも得て、音楽を系統的に学ぶことができ、ついに四川電影電視学院のミュージックパフォーマンス学部への進学を果たした。

子供の頃の湯星月さん。

大学卒業後、湯さんは、四川省の農村の学校で音楽の教師として教壇に立つようになり、「歌声で、多くの人にハッピーを届けたい。また音楽を通して、私のようにより多くの人が困難を乗り越えて、再び生活と向き合えるように助けたい」としている。

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2008年当時15歳だった王睿さんは地震で右足を失ったものの、義足を装着して再び立てるようになった。

2009年に王さんは、家族に勧められて卓球を始めた。当時は初心者で、毎日8時間以上練習していた。そして、努力を重ねて、ついにナショナルチームに選ばれ、東京パラリンピックでは、仲間と共に女子団体で金メダルを獲得した。試合後のインタビューで、王さんは、「私は四川大地震の生存者。私に再び命を与えてくれた卓球に感謝している。パラリンピックチャンピオンの夢がついに適い、祖国のために栄光を勝ち取ることができた」と語って多くの人を感動させた。

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2008年当時12歳だった馮昱潔さんは、故郷にいる時に地震に襲われ、父親と共に第一陣のボランティアとして北川チャン族自治県の被災地に向かった。

そこで、まだ幼かった馮さんは、解放軍の兵士たちが危険を冒しながら救助活動を行っているのを目にし、軍への入隊を志すようになった。

その後、高校を卒業した馮さんは、希望通り軍に入隊し、毎日厳しい訓練を受けて、元々「金槌」だったにもかかわらず頭角を現して「海猿」に選ばれ、海難救助の第一線で活躍する兵士となった。

「入隊したのは、当時の解放軍の兵士のように強くなりたかったから。人を救うためには、自分がしっかりと強くなければならない」と馮さん。

突然の試練に襲われた彼らだが、決して下を向くことなく、傷を負いながらも勇気を奮い起して新たなスタートを切り、ポジティブで、強固な心で自分の人生の物語を記し続けている。

四川大地震発生からちょうど14年たった今日、犠牲者を追悼し、緊急事態発生時に命を懸けて救援活動する人々のこと、そして災害が起きた時には互いに助け合わなければならないことを肝に銘じよう。(編集KN)

「人民網日本語版」2022年5月13日

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