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【ぶらり北京】西太后を気取って船で頤和園へ!編

人民網日本語版 2022年07月22日13:40

北京の街を人民網日本人編集者のA姐とG姐がぶらりと歩いて紹介する、その名も「ぶらり北京」。今回は、清朝の夏の離宮だった「頤和園」へ優雅に船で向かってみました。さしずめ「ぶらり北京」改め「ゆらり北京」?さてさて、A姐とG姐の旅は西太后のような優雅な旅となるのでしょうか?

【ゆらり】船に揺られて頤和園へ

北京で船旅が出来ると言ったら驚くだろうか。例えそれが1時間程度の短いものであっても、内陸部の都市である北京では新鮮な体験になるはずだ。この船旅のコースは、現在の北京動物園から紫竹院公園を経由し、頤和園の南如意門へと至る水路遊覧。そしてそれはまさに、清の西太后が頤和園へと向かう時にたどったコースでもあった。

紫竹院公園内にある紫御湾碼頭。今回のぶらり、もとい「ゆらり北京」の出発点(撮影・勝又あや子)。

西太后はその生涯で計32回頤和園に行ったとされる。西太后一行は、今は北京動物園の敷地内にある倚虹堂碼頭から乗船し、水路沿いの景色や名所を楽しみつつ、紫竹院公園内にある紫御湾碼頭へ。水深が変わるため、ここで船を乗り換えてから一路頤和園へと向かったという。

この水路は「慈禧水道」と呼ばれる。「慈禧」は西太后のことだ。清代には、庶民はこの水路で魚を捕ったり船を航行させたりすることは禁じられていた。西太后らが船で頤和園に向かう時には、川岸からその姿を見ることは不敬罪とされていたという。

1908年、光緒帝と西太后が亡くなると、「慈禧水道」は使われなくなった。それからちょうど100年後の2008年、北京夏季五輪の開催に合わせて、北京市は「慈禧水道」を復活させた。100年の時を経て、皇室専用の水路は市民も楽しめる観光水路としてよみがえった。

西太后一行が立ち寄ったという万寿寺を船上から望む(撮影・勝又あや子)。

私たちは今回、紫竹院公園内の紫御湾碼頭から出発。午後4時の最終便で日盛りを過ぎた涼しい船旅を狙ったのだけれど……真夏の北京は日没も午後7時頃で、この時間はまだまだ暑い盛り。川風は涼しいものの、遊覧船はかなりの人気で船内はほぼ満員。家族連れのいささか賑やかすぎる声が響き渡り、優雅な船旅計画は初っ端からつまづいてしまった。

それでも、環状道路の三環路や四環路など北京の幹線道路を船でくぐり、水路沿いの柳やエンジュの並木を眺めながらの船旅は、暮らし慣れた北京の新たな一面を見るようで気分が浮き立った。水路で水泳やスタンドアップパドルボード(SUP)などウォータースポーツを楽しむ人たちを見るのも新鮮な経験だった。そして舳先から頤和園が見えてくると、心の浮き立ちは最高潮に。「西太后一行もこんな風に気持ちを高揚させて頤和園に着いたのかな……」と清代の船旅に思いを馳せた。

舳先から頤和園が見えてくると興奮もMAXに(撮影・勝又あや子)。

【ぶらり】頤和園の西堤を歩く

頤和園は北京の北西部にあり、万寿山とその南に広がる昆明湖からなる広大な庭園。敷地面積は約290万平方メートルに及び、日本の皇居の2.5倍ほどの大きさがある。清の第6代皇帝である乾隆帝が1750年に造営したもので、当初は清漪園という名前だった。1860年に英仏連合軍に破壊されたが、1888年に西太后によって再建され、頤和園と改名された。しかし1900年に八カ国連合軍によってまたもや破壊され、1902年に再び再建された。

南如意門から入ってすぐのところにある石橋の上から眺めると、広大な昆明湖が眼前に広がり、なんとも清々しい気持ちに。頤和園には何回か来たことがあるが、いつも東門から入り、仁寿殿や玉瀾堂、長廊、仏香閣を見て清晏舫を回るコースばかりなので、南側からの眺めはとても新鮮だ。

昆明湖のほとりで読書する男性。遠くに仏香閣と十七孔橋が見える(撮影・勝又あや子)。

西太后のように船で昆明湖を遊覧するというコースもあったが、私たちは西堤の散策コースを選択。西堤は江南地方の風景に憧れた乾隆帝が作ったもので、西湖の蘇堤を模している。堤のそこここに小さな橋やあずまやが設けられ、そこから眺める仏香閣や十七孔橋もまた一味違った趣がある。

西堤から仏香閣を望む(撮影・勝又あや子)。

メインの観光コースになっている東門近くのエリアは観光客でごった返し、清朝の「夏の離宮」のくつろぎ感を追体験するよすがもないが、西堤まで来るとかなり観光客が減り、昆明湖のほとりで読書をする人や、橋の上のあずまやに腰かけて語り合う人たちの姿も見られ、ゆったりとした時間の流れを感じることができた。

西堤の橋の上でおしゃべりに興じる若い女性たち(撮影・勝又あや子)。

ただ、日盛りを過ぎたとは言え、西堤を照らす太陽の光はまだ強く、私たちはすっかり汗びっしょり。しかも西堤は思ったより長く、普段運動不足の私たちはコースを半分歩いたあたりからすでにグロッキー。ヘロヘロになりながら最後の橋「界湖橋」を渡り切ったところで、売店に頤和園オリジナルアイスを発見!ひんやりと冷たいアイスが喉の渇きを癒し、十七孔橋と銅牛のデザインで頤和園ならではの歴史と文化も文字通り味わった。

頤和園でも「文化クリエイティブ」アイスは人気。十七孔橋は水蜜桃味、銅牛はチョコ味。銅牛は乾隆帝の「金牛銘」の文字までリアルに再現(撮影・勝又あや子)。

【がぶり】西太后ゆかりの北京小吃

頤和園を後にして、西太后ゆかりの北京小吃(北京で食べられている軽食)を味わおうと、地下鉄西苑駅近くにある徳華居小吃店へ。お店は予想に反してフードコート内にあり、清朝の宮廷気分というわけにはいかず残念だったが、気を取り直して西太后にゆかりのある炸灌腸を味わった。

灌腸はいわば腸詰なのだが、これはどう見ても肉が入っていない。それもそのはず、これは「小灌腸」と呼ばれる肉なしの「腸詰もどき」。実は灌腸には「大灌腸」と「小灌腸」があり、大は本当に肉が入った腸詰で、小のほうはサツマイモのでんぷんを使って腸詰を模したものだ。

サツマイモのでんぷんで出来た炸灌腸。薄く切って揚げ、つぶしたニンニク入りの塩水につけて食べる(撮影・勝又あや子)。

一説によると、大灌腸のほうは、後海の後門橋の近くにある火神廟に詣でた西太后が、福興居という店で売られていたものを気に入り、宮廷への献上品になったという。一方、北京小吃として今も庶民に愛されている炸灌腸は小灌腸のほうだ。北京以外の人からは「腸詰だっていうけど、肉が入っていないじゃないか」と揶揄されるが、がぶりとかじってみるとこれがなかなか美味しい。外側のカリカリした歯ごたえと生地のねっちりとした食感のコントラストが面白く、意外とクセになる味だった。

炸灌腸のほかにも、麻豆腐や豆醤など北京ならではの料理を味見(撮影・勝又あや子)。

西太后を気取って頤和園へのゆらり船旅を楽しみ、頤和園の西堤をぶらり散策。最後は西太后ゆかりの北京小吃を味わった今回のぶらり北京。水路を抜ける川風、昆明湖のほとりにゆったりと打ち寄せる小波がたてる水音、西堤の揺れる柳の枝の向こうに見える仏香閣と十七孔橋。北京の水上ショートトリップを満喫した夏の午後だった。(文・勝又あや子)

ぶらり北京

北京の街を人民網日本人編集者のA姐とG姐がぶらりと歩き、見たり、食べたり、遊んだり?興味の向くまま、気の向くまま、北京の魅力をゆる~くお伝えしていきます。

「人民網日本語版」2022年7月22日

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