陝西省北部、内蒙古(内モンゴル)自治区との境に近い補浪河女子民兵治砂連には、見渡す限りポプラの林が続き、三尺バーベナやダリアの花畑が広がっている。ここが40年前までは砂漠だったと聞いてもにわかには信じがたい。しかも砂漠を緑地に変えてきたのが女性民兵だったと聞けば、驚きはさらに深まる。
補浪河女子民兵治砂連の敷地内に広がる三尺バーベナの花畑(撮影・勝又あや子)
■砂漠を緑地へと変えて来た女性民兵たち
8月初旬、「一帯一路」メディア協力フォーラムメディア取材・視察の一環で、陝西省楡林市にある補浪河女子民兵治砂連を訪ねた。補浪河女子民兵治砂連は1974年5月に設立され、その面積は293.33ヘクタールにわたる。陝西省と内蒙古自治区にまたがって広がる毛烏素(ムウス)砂漠の南端に位置している。「治砂連」とは砂の流動を止める治砂を行う連隊のことだ。
補浪河女子民兵治砂連(撮影・勝又あや子)
設立当初、54人の女性民兵は平均年齢18歳。当時は「長城姑娘治砂連」と呼ばれ、これが現在の補浪河女子民兵治砂連の前身となった。それから40年余り、一世代、また一世代と、女性民兵たちは黙々と砂丘をならし、木を植え、井戸を掘り、水を引き、牧草や花を植え、砂地を緑のオアシスへと変えてきた。これまでに380人以上の女性民兵がこの地で治砂に携わってきたという。
緑が広がる現在の様子(撮影・勝又あや子)
緑化のための水源は地下水だ。実はこのあたりの地下水源は比較的浅いところにある。「補浪河」というのはモンゴル語からの音訳で、「泉の水が集まって流れる川」という意味だ。秦代にはまだ緑が広がっていたというが、それ以降、過度な伐採が続き、清代には砂漠化してしまったという。
■厳しい条件の中で続けられた治砂の努力
補浪河女子民兵治砂連の前身である「長城姑娘治砂連」は、中国共産党中央と国務院の「植樹で造林し、祖国を緑化しよう」という呼びかけに応じて作られたという。女性たちは当初、自分たちで建てた粗末な宿舎に住み、厳しい環境の中で治砂や植樹の作業に従事していた。食べるのはハダカムギの蒸しパンやゆでて冷水にさらしただけの麺などで、半年間で一度も青菜を口にできないこともあった。食事をするお碗の中には砂が入り、口の中が砂だらけになったという。
設立当時の生活の様子(撮影・勝又あや子)
女性民兵たちの中には読み書きができない人も多く、夜には読み書きの授業も行われていた。当時の宿舎や読み書き教室が行われた建物が今も残されており、当時の様子をうかがい知ることができる。
1979年当時の夜間授業の様子を写した写真(撮影・勝又あや子)
女性民兵たちが何世代にもわたって緑化の取り組みを続けてきた補浪河は、現在では緑が広がる国家AAA級の景勝地となり、レジャー客も訪れる。ダリアの花畑が広がる一画にはコテージ風の宿泊施設が複数建てられ、宿泊も可能となっている。
宿泊施設からの眺め(撮影・勝又あや子)
■現代の治砂連女性民兵
現在、補浪河女子民兵治砂連で働く女性民兵は9人。張舒瑶さん(24)もその1人だ。普段は解説員や事務の仕事をしているという。解説員の仕事では、一番多い時で1日15組ほどに対応し、普段は平均すると1-3組。パキスタンやタイなど外国からの視察もあるという。
補浪河女子民兵治砂連で解説員をしている張舒瑶さん(撮影・勝又あや子)
張さんは大学を卒業した後、2018年に治砂連に就職し、今年で4年目。治砂連で働くことにしたきっかけについて張さんは、「子供の頃と大学に入る頃とでは、周囲の環境がずいぶん違っていました。どうしてこんなに変化したんだろうと興味を持つようになり、それで初めてずっと黙々と治砂に取り組んできた人たちがいたことを知りました」と言う。治砂連についてはあまり報道されてこなかったため、自身も注目していなかったという張さんだったが、その存在を知り、自身も採用条件に合っていたので試験を受けたのだという。
現在では、女性民兵たちが植樹をすることはなく、剪定など、主に植樹した樹木の管理をしている。それでも、「最初はとてもつらいと思いました。やめようと思ったこともあります」と張さん。しかし、「せっかく来たのだし、先輩の女性民兵たちもあんなにつらくても頑張ってきたのだから、私も頑張らなければと思いました」と、治砂連の仕事を続けてきた。
女性民兵たちの生活はとても単調だ。張さんも「街の中心部からはかなり離れたところにあるので、仕事が終わっても特に何か遊びに行くところがあるわけではなく、散歩をする程度」と言う。そんな張さんの指元を見ると、可愛らしいネイルアートが施してあった。聞けば、自分で塗ったのだという。出来栄えを褒めると、「同僚にもやってあげるんですよ」とはにかんだ笑顔を浮かべた。耳元にもTシャツやズボンの色に合わせたオリーブ色のピアスが光っていた。年頃の女性らしいおしゃれ心がのぞいた。
現在9人いる女性民兵のうち、独身は2人だけ。ほかは全員既婚者だという。「治砂連が出来た当時は結婚したらやめなければなりませんでした。昔は、結婚したら女性は子供やお年寄りの世話をしないといけませんでしたから。でも今は結婚した後もここに残ることができます。今は女性も自立していますから」と張さんは言う。
このままずっと治砂連で働くかどうかはまだはっきり決めていない。でも、もし治砂連を離れることがあったとしても、「将来振り返って、とても光栄なことだったと思うはず」と張さんは語った。(文/勝又あや子)
「人民網日本語版」2022年8月26日