习专栏

【私と中国】(2)中国小説翻訳の「第一人者」飯塚容氏「小説は中国を理解するための窓口」

人民網日本語版 2023年07月03日09:27

文学作品を通して、違う国や民族の人々やその暮らしぶりを理解することができる。日本にも中国の戯曲と小説をこつこつと研究し、文学を通じて日本の人々に中国を理解してもらおうと努力を重ねる学者がいる。中央大学教授の飯塚容氏だ。人民網が伝えた。

中国文学との縁

これまでに中国の作家40人あまりの小説を80作以上翻訳した飯塚氏は、中国小説の日本語への翻訳で名実ともに「第一人者」だ。中国文学を研究・翻訳する道を歩むようになった理由について飯塚氏は、最初は父親である飯塚朗氏の影響だったと振り返る。飯塚朗氏は日本の初期の中国文学研究における著名な研究者で、中国の名作古典「紅楼夢」を翻訳し、中国文学の日本への紹介において極めて大きく貢献した。父親の影響もあったからか、飯塚氏は東京都立大学に進学した。都立大では、父親と同時代の著名な中国文学研究者である竹内好氏や松枝茂夫氏もかつて教鞭を執っていた。飯塚氏は同大で中国文学を系統的に学び、将来中国文学の研究・翻訳の道を歩むための基礎を固めた。

中国で開放改革が始まると、多くの若い作家が頭角を現した。そして1987年、日本で文芸誌「季刊中国現代小説」が創刊され、中国の作家の新しい作品を常時掲載するようになった。しばらくして飯塚氏も編集・翻訳のグループに参加するようになった。このことはその後、中国文学の翻訳を本格的に行うようになる上で極めて大きな影響を与えた。飯塚氏は同誌に文章を発表するため、中国の作家の作品を集中的に、大量に読んでいった。

その間、飯塚氏は同年代の中国人作家の余華氏と知り合った。余華氏の1989年に出版された初めての中短編小説集を読んだ飯塚氏は、深い感銘を受け、小説「十八歳出門遠行(日本語題:十八歳の旅立ち)」を翻訳した。雑誌に発表するため、飯塚氏は当時はまだ無名だった余華氏に手紙を書いて許可を求めた。こうして飯塚氏と余華氏は厚い友情を結ぶことになった。数年後、余華氏は飯塚氏に会った際、「飯塚さんは初めて自分の作品を海外に紹介してくれた翻訳家だ」と感慨を込めて語ったという。

「中国文学は難しくない」

飯塚氏は、中国の友人、特に若い世代の友人は日本文化に高い関心を抱き、文学だけでなく、漫画やアニメなど各方面に興味を広げているが、日本の人々は中国文化、とりわけ文学分野に対して、それと同じくらいの関心を持っているとは言い難いと感じるという。この問題を解決するには、作家同士の交流を強化する必要があると飯塚氏は考えている。

また、飯塚氏は教員としての経験の中で、日本の学生の多くが「中国文学は難しくて理解できない」という先入観を持っていることに気づいた。そこで、飯塚氏の提案により、中央大学図書館では作品に触れることのできる「文庫で読める中国現代文学の名作」コーナーが設置された。飯塚氏は、このコーナーを通じて日本の学生に「中国文学は難しくない。面白い作品がいろいろある」ことを知ってもらいたいという。

飯塚氏は、ここ数年、中国のSF小説が日本の若い読者をますます多く引き付けるようになったことにも注目している。「三体」の作者の劉慈欣氏が高い人気を得ているほか、郝景芳氏などの若い作家も作品が次々に日本語に翻訳され、読者の関心は高い。

長い歴史がある中日演劇文化交流

飯塚氏の研究テーマには、中日演劇交流史、特に中国近代の話劇(新劇)に関する交流史も含まれる。飯塚氏によると、明治時代(1868-1912年)後期から大正時代(1912-1926年)中期にかけて、大勢の中国人留学生が日本にやって来た。その中には日本の近代演劇の影響を受けた演劇好きな中国人留学生もいて、演劇公演をするようになり、こうして中国話劇が誕生した。それから1930年に入るまで、中国人留学生が続々来日して、東京で演劇活動をするようになった。原作の元々の水準が高いので、演劇として上演しても素晴らしい作品となり、中日文化交流の歴史に大きな足跡を残したという。

飯塚氏が中国の話劇を実際に初めて見たのは1980年代のことで、北京人民芸術劇院の来日公演だった。話劇の発展の歴史を振り返ると、中国と日本の間には長い文化交流の歴史があり、両国の文化交流の絆がしっかり結ばれていることを感じるという。

将来への期待 「青は藍より出でて藍よりも青し」

中国と日本は一衣帯水の隣国で、文化交流の歴史は非常に長い。飯塚氏は、「小説の中にはいろいろな歴史背景があり、中国のいろいろな地方の生活風景がある。中国人のものの見方や考え方も理解することができる。そういう中で、中国にはこういう面もあったのか、こういう歴史があったのかという、日本とは違う側面を発見することができる。逆に、中国の人たちも日本人と同じようなことを考え、同じように生活をしていることを発見することも大事だと思う。その両方が大事だということを常に言っている」と語る。そして、中国文学を研究し、中国の小説を翻訳することで、より多くの日本人に中国を理解してもらい、中日の悠久の文化交流の歴史を次の世代へ伝えていきたいという。

飯塚氏は贈る言葉として「青は藍より出でて藍よりも青し」という中国のことわざを挙げ、その理由として、「この言葉に『父の世代や父の教え子の世代を受け継ぎ、また乗り越えていきたい。それと同時に、次の世代、私より若い世代の研究者と翻訳者もそうであってほしい』という願いを込めた」と語った。

(編集KS)

「人民網日本語版」2023年7月3日

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