1949年生まれの楊さんは、山東省の海からほど近い煙台市で生まれ育った。7歳から、海で泳ぎはじめ、17歳になると、鉄棒や平行棒、重量挙げの練習を始めた。1970年から始めるようになった早朝ランニングは、今でも彼の日課となっている。1982年からは重量挙げに挑戦し、1984年からはボディービルのトレーニングをスタート、翌1985年には山東省第2回ボディービル・コンテスト70キロ級チャンピオンと総合チャンピオンの座に輝いた。
1993年に香港で開かれた世界華人ボディービル大会に出場した楊新民さん(写真は本人からの提供)。
「ボディービルを始めるとすぐにその虜になってしまった。その後、ボディービルはスポーツの一種というだけではなく、一つのライフスタイルだということに気づいた」と楊さん。
鉄棒やバーベル・ダンベルしかなかった中国、今ではいたるところにトレーニングジム
35歳でボディービルの世界に足を踏み入れて瞬く間に35年が経った。楊さんは、肉体を完璧に鍛え上げてきただけではなく、中国改革開放以来のフィットネス事業の発展も目の当たりにしてきた。
「トレーニングを始めた1980年代は、鉄棒に平行棒、バーベル・ダンベルなどの器材しかなかった。肉体を作るために必要な、牛肉や魚、鶏むね肉も手に入らなかった。おまけに大会に出場しても、賞金はなかった」と楊さん。