また当時は肌を露わにするウェアを身に着けたボディービル選手に対し、マイナスのイメージを抱く人が多かった。そうしたイメージは1986年に深セン特区で全国ボディービル招待大会が行われるまで続いたという。楊さんは大会当時を振り返り、「参加者は男女合わせて228人がいたが、メディア関係者だけでも800人以上がやって来た。当時、この大会を報じるニュースが中国全土さらには世界中を湧き立たせた」とした。楊さんは、この第4回「力士杯」全国ボディービル招待大会80キログラム級で第3位に輝いた。
1986年に深センで開催された第4回「力士杯」全国ボディービル招待大会に出場した楊さん(写真は本人からの提供)。
1990年代に入ると、北京・上海・広州などの大都市にトレーニングジムが登場し、2000年以降、海外の栄養食品が中国に輸入されるようになった。2005年、銭吉成選手が中国人として初めて、ボディービル大会の世界チャンピオンを手にし、トレーニングジムの専属トレーナーもパーソナルトレーナーへと変わっていった。