当時、パラシュート隊が郷里にやってきて被災者を救済する様子を、程さんは今もまるで昨日のことのようにはっきりと覚えているのだという。「彼らのヘルメットには『空降(パラシュート)』の2文字があった。彼らは一分一秒を争うかのように緊急救命措置に全力で取り組み、私たちのためにテントを張り、故郷を再建するのを手伝ってくれた。私たちは彼らを命の恩人だと強く感じた。パラシュート部隊が任務を終えて帰隊する際、私たちはとても別れがたく感じ、大事な品物や卵、フルーツなどを手渡して彼らとの別れを惜しんだ。当時、私は12歳で、まだ小学生だった。学校の先生が私に、解放軍の兵士たちに何か言いたいことがあれば書きなさいと言ったので、私は、『大きくなったらパラシュート隊員になる』という言葉を横断幕に書いた」と程さんは当時を振り返る。
バックパック用ベルトで膝を縛り脚の矯正を行う程強さん。
その時から、「大きくなったらパラシュート隊員になる」という夢が程さんの心をしっかりとらえた。彼は2013年、入隊を志願、ついに夢だったパラシュート隊員になった。新兵による第1回パラシュート訓練から重大演習である攻撃訓練にいたるまで、この4年間、程さんは常に突撃訓練の第一線で努力を重ね、たちまちパラシュート隊員の精鋭となった。
訓練中の程強さん。
程さんは、「訓練を終えてから、皆でよく語り合うのは、この平和な時代に私たちが盾となり銃口を防ぐようなことがどれだけあるのか?ということ。しかしそんなことはほとんど無いだろう。でも、閲兵式という『戦場』で、私たちは困難に直面しても、負けを認めず、最後まで戦うという信念や信仰を持ち続けなければならないと私は思う。前に進むことが大きな力となるのだから」とした。
閲兵式訓練を受ける隊員のシャツからしたたり落ちる汗(撮影・謝程宇)。
隊列練習の様子(撮影・謝程宇)。
夕日に照らされた訓練場(撮影・謝程宇)。
(編集KM)
「人民網日本語版」2019年9月27日