
陝西省の文化財関連当局は24日の取材に対して、「考古学者が、戦国時代(紀元前5世紀-紀元前221年)の遺跡・塔児坡秦の古墳で新たに発見した金の装身具は小さいものの、非常に精巧な造りで、典型的な北方エリアの草原文化のスタイル。前期シルクロード時代の中国と西洋の文化交流や伝達ルートを実証する研究において重要な意義がある」と明らかにした。中国新聞網が報じた。
今年8‐9月、考古学者は塔児坡村のバラック密集地の再開発事業に合わせて、建設用地の発掘調査を行い、古墳6基を発見した。秦の古墳が3期、前漢(紀元前202-8年)の時代の古墳が1基、後漢(25-220年)の時代の古墳が2基で、文化財89点(セット)も出土した。
秦の古墳からは珍しい金の装身具や明器青銅繭形壺、青銅蟾蜍が出土した。小型の純金の装身具は9個あり、秦の古墳から発見されたものとしては珍しい。装身具の表面には、縄目模様の金糸や金の小さな玉が溶接されている。縄目模様は草原文化において、金や銀の帯の止め具の縁に施されていることが多い。金珠を溶接する技術は、ティグリス・ユーフラテス川流域や地中海沿岸に起源を発し、戦国時代中・後期に、中国の西北エリアの遊牧民地区で流行した。前漢時代には、中原エリアで小さな玉を溶接する技術が登場した。この小型の金の装身具の用途や製作技術は、典型的な北方エリアの草原文化のスタイルだ。

専門家によると、現時点での考古学的発見からして、金糸や玉を溶接する技術は、甘粛省の戦国時代の遊牧民族・戎人の馬家塬墓地でも発見されており、前漢時代に、その製法が中原エリアの金器で見られるようになり、後漢時代には、南下して長江や珠江流域に伝えられるようになった。今回、金糸や小さな玉が溶接された装身具が出土したということは、戦国時代や秦の国の人々も、この種の金器細工製品の製作技術を巧みに使いこなしていた可能性があることを示している。
その他、金の玉の溶接技術は、西アジアに起源を発し、中央アジアの草原を経由して、中国の今の新疆維吾爾(ウイグル)自治区や内蒙古(内モンゴル)自治区などの地域に伝えられた。秦の古墳からこの種の金器が出土したということは、秦の国の人々と中央アジアや西アジアとは、早い時期から間接的、または直接的な交流があった可能性があることを示している。これは、前期シルクロード時代の中国と西洋の文化交流や伝達ルートを実証する研究において重要な意義がある。(編集KN)
「人民網日本語版」2021年11月26日
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