「食」は華人の文化 (2)
長い歴史を持つ農耕文明は中華民族に「天に靠(もた)れ飯を吃う」という意識を植え付けた。その間、天災や人災に見舞われ、生活そのものが困難で、「お腹一杯食べる」というのが人生の楽しみとなった。「食」はある意味「民生」であり、グローバル化が一種のライフスタイルとなっている現在、華人は中国人と西洋人の間にある大きな差を感じるようになっている。「食」を中国人ほど精神的拠り所としている民族は他にないのだ。
中華文化史である「飲食」が、これまでに途切れたことは一度もない。中国の作家で言語学者の林語堂(1895-1976)や近代的な文芸理論家梁実秋(1903ー1987)などの時代を経て、20世紀末、ポストモダンに対する疑いや不安が華人の価値観にまで影響を及ぼそうとしていたが、それでも「飲食文化」が消えることは決してなかった。今日、米国在住の華人作家・厳歌苓やイギリス在住の華人作家で詩人の虹影などの作品からは、「飢え」を読み取ることができる。食に対して飽きることない欲求を持っており、「楽しめる時には楽しんでおけ」という人生観を感じるのだ。この点、「食」は、ポストモダンに対する一種の「訴え」ともなっている。
「食卓」は、華人の大切な交流の場だ。台湾の巨匠・李安監督の「恋人たちの食卓(原題: 飲食男女)」(1995年)では、台北の一流ホテル圓山大飯店の料理長である父親のもとに、娘3人が毎週日曜の夜に集まり、週に1度家族4人そろって食事を楽しむというストーリーが描かれていた。そして、父親が老いて味覚が落ち、家族にさまざまな問題が起きても、「食」が家族の雰囲気や団結を守ってくれた。
華人なら誰にでも「おふくろの味」があり、「食」をめぐるエピソードがあるものだ。これは、ある時代の人々の心に深く刻まれている記憶というほどのものではないかもしれないが、それでも個々としてはいつまでも残る美しい記憶だ。「食」は人の心に宿る自分や家族、故郷、文化に対する「思い」なのだ。(編集KN)
「人民網日本語版」2013年11月8日