大都市は奮闘する「二代目プア」を受け入れられるのか?
北京・上海・広州では、住宅価格の高騰によって、行き場を失う若者が増え続けている。新華網が伝えた。
高卒の李宗さんは、安徽省界首市田営鎮魏竈村という農村出身だ。1999年、李さんは出稼ぎ農民として上海に出て来た。機械修理工、技術工、現場労働者などさまざまな職を転々とし、十数年苦労を重ねた末、ようやく管理職になった。また、基本給と職能給を合わせ、月給は8千元(約12万9千円)を上回り、稼ぎの良い時には1万元(約16万1千円)に達するまでになった。しかし、職場近くの住宅価格も、1平米あたり2万元(約32万2千円)にまで上がった。「理想と現実がますますかけ離れるようになった気がする」とつぶやく李さんは、マイホームを手に入れられないため、今年、故郷の農村に戻った。
李さんは、涙にむせびながら「住まいが私の生活に及ぼす影響は、決して言葉では言い表せない。故郷に戻らざるを得ない悲しみは相当なものだ。十年あまり上海で仕事をした私が、農村でその経験を活かせる道はなかった。家族を養うため、化粧品店を開いたが、市場のことをよく知らなかったため、資金を注ぎ込んだだけに終わった」と話した。そして、「いつも思うことだが、もし自分の努力で上海に家を買えていたら、今頃は上海で一家仲睦まじく、穏やかで楽しい毎日を過ごしていただろう」と続けた。
都市化という大きな流れの中、李さんのケースは、某大な農民工のひとつの縮図に過ぎない。彼らは、一生で最も光り輝く青春時代を大都市に捧げ、都市建設のために汗と情熱を注いだ。長年の努力によって、彼らは都市と工場の生活に馴染み、胸の内には大きな望みも沸き出した。しかし、大都市に彼らの住処はない。住宅価格が高すぎるという圧力の下、彼らは、「踏ん張るべきか、それとも逃げ出すべきか?」の選択に迫られる。
同じような困難に直面するのは、広大な農民工たちだけではない。一流都市の高学歴の人々も同様だ。黄さんは北京の某大学で教員をしており、北京で教職に就いていることは、故郷の村民全員にとって大きな誇りだ。農村出身であるため、マイホーム資金は黄さん夫婦が稼ぐしかない。教員の給料だけでは、北京では家を買う頭金にもならない。夫婦には今年、赤ちゃんが誕生したが、一家はいまだに大学の教職員寮に住んでいる。実家の親が北京に出てきて孫の面倒を見てくれていることから、マイホーム購入は、一家にとって頭の痛い切実な問題になっている。
大学卒業後、「広州をさまようホワイトカラー」になった白さんは、今もなお、広州に対する「帰属意識」が持てないという。というのも、住まいはルームメイトと共同で借りており、退職した両親が彼女に会いに広州に来るたびに、ホテルもしくは彼女が住む貸間に狭苦しく泊ってもらうしかないからだ。また、懐かしい「おふくろの味」の料理を食べる機会も減っている。このような現状を思うたびに、白さんは大きな後ろめたさを感じていた。「1人娘として、実家から遠く離れた広州に住んで4年余り、故郷の小さな町に戻る決心はつかず、そうかといって、広州に根を下ろす能力もまだまだ足りないと感じている。家を買うことも夢のような話だ」と白さんは悩み続けた。
「卒業後、すぐにマイホームを買えるなどとは思っていない。でも、住宅価格が予想を越えたスピードで高騰しているため、お金をためてマイホームを手に入れることは、私には無理ではないかと思わざるを得ない」と話す白さんは、あれこれ考えた末、広州での仕事を辞めて、故郷の江蘇省に戻ることに決めた。
これは、ある人の特別なケースではない。同世代の若者全てに共通した問題だ。北京、上海、広州などの特大都市には、このような若者が無数に住んでいる。彼らは理想を描き、努力してここに根を下ろそうと頑張った。だが、高まる創業に対する理想が、高すぎる住宅価格という壁にぶち当たった時、彼は躊躇する。頑張り続けるのか?それとも逃げ出すのか?これは、今の中国で、若者世代が直面している極めて顕著な状況であり、初代若者世代の切実な問題だ。この問題はしかし、初代だけではなく、第2世代、さらには第3世代の生活にも、大きな影響を及ぼすであろう。「住宅」は、中国の社会生態をひっそりと変えつつあることは、もはや否定できない。
住宅価格の高騰が原因で、一部の人々の「夢を追う」歩みに「待った」がかかった時、我々の心には、「ある都市が、努力を重ねる人間を受入れられない場合、その都市が革新・発展を続けるためのエネルギーは、いったいどこから生まれるのだろうか?」という疑問が思わず湧いてくる。(編集KM)
「人民網日本語版」2013年11月5日