日本紙幣に居座り続ける古顔、福沢諭吉
中国メディアが見る日本 一つの国の世界観や価値観は各国の紙幣、特に最高額紙幣の上に浮かび上がる。北京晨報が伝えた。
2001年に欧州通貨単位のユーロ紙幣がドイツの紙幣に制定される以前、ドイツの最高額紙幣、1000マルク紙幣に印刷されている人物像は、現代ドイツ語辞典を編纂したグリム兄弟だった。現在、日本の最高額紙幣1万円札に印刷されているのは福沢諭吉だ。
福沢諭吉(1835-1901年)は江戸時代末期に下級藩士の家に生まれた。日米修好通商条約に伴い派遣された咸臨丸の艦長の従者として渡米したり、欧州各国の使節団に同行するなど、西洋の学問に心酔し、明治時代における「文明開化」に尽力した人物だ。また、福沢諭吉は日本の近代思想史において、最も早くに「Civilization」を「文明」と翻訳し、「文明」の概念を導入すると当時に、文明の優劣を説いた。
■18世紀のフランス、「野蛮」に対立する意味で使用された「文明」
欧州を中心にして見た世界は2つに分かれていた。秩序があり優れた欧州と、半開の国で野蛮な欧州以外の地域。福沢諭吉が指摘する以前から、日本人はすでに、イタリア人イエズス会員・カトリック教会の司祭マテオ・リッチが持ち込んだ世界地図によって、この世界は「中華と四夷(古代中国で中国を中華と呼ぶのに対し、四方の異民族を指して四夷と言った)」という秩序のほかに、新たな秩序、つまり東西や欧亜といった線引きがあることを理解していた。また、日本人は宣教師が自らの故郷を欧州と呼ぶことや、中国や朝鮮、日本がある大陸は「アジア」と呼ばれていることも徐々に理解していった。この理解の基礎の上に、福沢諭吉はかの有名な「脱亜論」という文明の優劣による評価を導入した。これにより、近代日本人は、西洋文明の風が国境を越えてアジアに流れ込めば、古いしきたりに囚われた清国や朝鮮は国家滅亡の運命から逃れられないと見て、清国・朝鮮との間に明確な境界線を引き、2カ国の滅亡の巻き添いになることを避けなければならないというアジア観の基礎を打ち立てた。
福沢諭吉の中国に対する認識は、アリストテレスからヘーゲルに至る思想に基づいたところが大きく、最終的には「アジア的生産様式」を引き合いに出し、「中国の停滞性」を主張した。
簡単に言えば、アジア社会、特に中国社会は土地の私有制度がないことから、大型水利工事施設の建設を基礎とし、国がすべての経済活動を計画準備する専制政治体制を形成している。アジアの専制社会は完全に停滞した状態で、発展する動力を欠いた社会形態であるというものだ。福沢諭吉が提出した「脱亜論」は日本の思想史に対して深く影響を与え、今でも日本の多くの国民が日本のことを、「西洋には属さないが、アジアの独特な文明とも異なる」と考えている。