南航日本支社長:中国の第一印象を決めるのは航空会社
アジア最大の航空会社である中国南方航空(南航)は1995年に初の中日航路を就航させて以来、すでに18年間日本市場で事業を展開し、両国交流や社会・文化的相違に関する分野で鋭い認識を持っている。このほど人民網は航空業界への両国関係の影響、航空業界の近況、国際的企業管理などについて、呉国翔・南航日本支社長への単独インタビューを行った。
■震災後厳しい試練に直面 人助けを第一にフライトを調整
呉支社長は2011年1月の就任後間もなく、重大な試練に立て続けに遭遇した。2011年3月の東日本大震災では、地震と津波による放射能漏れ事故が大パニックを引き起こした。続いて2012年には釣魚島(日本名・尖閣諸島)問題のために中日関係が次第に悪化した。この2つの出来事は航空業界に甚大な影響を与えただけでなく、日本支社を引き継いだばかりの呉支社長に大きなプレッシャーと試練をもたらした。
呉支社長は「福島第1原発が津波で破壊され放射能漏れが起きたとの情報は、地震より大きなパニックを引き起こした。事態がどの程度まで進行するかわからない中、在日外国人の一部は日本から離れることを選択した。日本で働き、学ぶ数十万人の中国人の一部も帰国を選択し、航空輸送能力は一時逼迫した。当時、航空会社が便乗値上げをするとの噂が流れた。原発事故発生後、大使館を含む多くの人が在日中国人の移動のために努力を払った。航空会社としては、輸送能力の拡大に最も取り組む必要があった。各国が数多くの自国民を連れ戻す中、フライトを手配するのは非常に困難だったが、南航職員は持ち場をしっかりと守り、各方面との調整によって在日中国人のために100便余りを手配した。人々の関心の高い航空券価格については、大使館側と連携して、中国人の緊急帰国のための航空券価格を1人3万円と率先して決めた。これは大部分の在日中国人が負担できる額で、航空会社は常に人助けを第一にしている。だが航空券代理店や旅行会社が航空券価格を引き上げたことも否定できない。この問題に対処するため、南航は当時空港に専用カウンターを設け、航空会社から直接航空券を購入できることを帰国する必要のある乗客に伝えた。また、地震や津波で直接的被害を受け、航空券を購入できない在日中国人に対して、大使館の提供した名簿に基づき、帰国する必要のある中国人に無料で搭乗券を支給した」と語った。
呉支社長とそのチームが遭遇したもう1つの試練は、釣魚島問題で冷え込んだ中日関係だ。呉支社長は、日本での事業が最も困難な時期にあることを率直に認めた。釣魚島問題で両国関係が緊張するまで、南航の日本方面の24航路は週124便だった。だが乗客の減少に伴い、フライト拡充計画は先送りとなり、一部航路は大型機から小型機に変えた。「これらの出来事によって、日本という国と自分のチームに対する理解が進んだ。こうした厳しい試練に直面しているが、全体的、長期的に見て、依然として日本は重要な航空輸送市場であり、南航は日本市場を大変重視している。南航の日本での短期計画は一部フライトの再開だ。中長期的には中日間の輸送力を拡充するほか、広州白雲国際空港をハブ空港化して日本の乗客をオーストラリアや東南アジアへ輸送する業務を強化する」。
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