日本のパナソニック株式会社はこのほど、半導体事業から撤退し、関連の工場、設備、株式を譲渡することを明らかにした。パナソニックグループは経営資源をより発展の見通しのある分野に集中的に投資し、徹底的に構造改革を進めるとしている。パナソニックのこの動きは、ここ数年の日本における半導体メーカーの調整・再編プロセスにおける重大な出来事であり、日本半導体産業の盛衰と変遷を映し出している。
パナソニックの半導体事業には60年以上の歴史がある。パナソニックは1952年にオランダのフィリップス社と合弁会社を設立したことを契機に、半導体事業に足を踏み入れた。80年代には売上高が世界上位10社に入った。ここ数年はその他の国・地域の企業が発展し、パナソニックの家電販売量も減少するのにともなって、半導体事業の業績は悪化を続け、規模もどんどん縮小していった。
パナソニックセミコンダクターソリューションズ株式会社の2018年度(18年4月-19年3月)の売上高は922億円、損失は235億円だった。パナソニックは21年度までに人件費削減、拠点の絞り込みなどで1千億円規模のコスト削減をはかり、損失を出している事業を清算する計画を立てた。19年度は半導体事業の赤字の黒字化を達成目標に掲げていたが、黒字化は難しく、事業そのものを売却せざるを得なくなった。半導体産業の重要性を考えて、パナソニックはこれまでずっと半導体事業を留保するために手を尽くしてきた。最近は電気自動車のバッテリー管理に利用される半導体などの事業を強化し、次世代自動車の製造と普及に照準を当てていた。
80年代には、日本の半導体産業は半導体メモリの1種であるダイナミック・ランダム・アクセス・メモリ(DRAM)などによって世界をけん引したが、90年代には米国企業に抜かれ、その後は韓国などの新興企業が誕生し、日本製品の優位性はさらに揺らいでいった。21世紀初頭には、日本のチップメーカーではまだ東芝とNECが半導体売上高世界10位に入っていたが、15年になると東芝1社だけになった。18年に東芝が半導体事業の譲渡取引を完了すると、一時代を築いた日本半導体産業の輝かしい歴史は幕を閉じることになった。ここ10年ほどの間に、日本の電気メーカーはいずれも大規模な再編を行い、利益の薄い事業や利益の出ない事業から相次いで撤退し、伝統的家電事業は売却されて今ではほとんど残っておらず、半導体事業も再編と調整に直面している。
日本紙「日本経済新聞」の西條都夫編集委員は日本の半導体産業の衰退には4つの深層的な原因があるとした。1つ目は「組織と戦略の不適合」、2つ目は「経営者の質」、3つ目は「強すぎる自前主義」、最後は「技術偏重、マーケティング軽視」だ。半導体産業関係者は、「日本の半導体技術者が減少を続けたことも産業衰退の重要な原因」との見方を示した。
分析によれば、半導体産業はかつて日本の重要産業で、半導体産業にみられる問題には日本の他の産業が直面する問題も反映されているという。別の分析では、日本は高投資・高リスクのチップ産業ではもはや優位性をもたないが、投資と収益が相対的に安定した半導体設備と半導体材料の分野ではまだしっかりと主導権を握っているという。評論の中には、「日本はチップ大国からモデル転換して半導体設備・材料供給大国になった」との見方を示すものもある。(編集KS)
「人民網日本語版」2019年12月9日