4月8日0時から、武漢市から外部への交通ルートに対する規制措置が解除された。厳しい冬から暖かな春へ、長かった2ヶ月余りが過ぎた後、武漢の封鎖措置がついに解除された。人民網が伝えた。
非常事態に対応するために、非常措置が取られた。1400万の人口を抱える大都市にとって、「都市封鎖」は「非常に苦しい決定」だった。旧暦大晦日(今年は1月24日)の前日にあたる1月23日、九省へとつながる交通の要衝である武漢が、外部へと通じる交通ルートを遮断した。
「都市封鎖」は、武漢にとって「一時停止ボタン」が押され、春節(旧正月、今年は1月25日)の一家団らんができなくなり、多くの人々の生活が影響を受けることを意味した。社会機能が止まることによる不便、ウイルス感染の恐怖、親しい人が亡くなった悲しみ……武漢の人々は、感染状況による苦難を耐え忍びながら、互いに助け合い、前向きに生活を続けた。彼らは「英雄的な人々」と呼ばれるにふさわしい。
3月6日付「サイエンス」誌の研究によると、1月23日に始まった武漢の外出禁止令は、国内でのウイルス感染拡大を3-5日遅らせ、2月中旬の時点で、海外への感染拡大を80%近く減少させた。3月31日付「サイエンス」誌の最新研究は、武漢の「都市封鎖」によって新規症例70万人の発生が回避されたことを再び証明した。まさに武漢の人々の犠牲と貢献があったからこそ、現在感染拡大予防・抑制状況が好転しているのであり、全世界にとっては、他の国が感染状況の予防・抑制をするうえでも貴重な時間を稼いだことになる。
世界保健機関(WHO)は、「我々は武漢の人々の貢献を知るべきだ。世界は武漢に借りができた」と、武漢の世界への貢献を前向きに評価した。武漢市では、人の移動を減らし、最も厳しい共同対策ネットワークを構築し、火神山医院と雷神山医院を建設し、方艙医院(臨時医療施設)を設置し、全面的に厳重な検査を行い、収容すべき患者は全て収容し、物資供給を保証した。こうした措置で持ちこたえることに成功した武漢と武漢市民は、新型コロナウイルス肺炎の感染が世界で蔓延する今、その具体的な行動で世界各国のウイルスとの闘いに中国のプランと経験を提供している。まさにテドロスWHO事務局長が言うように、「武漢は世界に希望をもたらした。感染が最も深刻な状況であっても事態を転換させることはできる」のだ。
全国哀悼日となった4月4日、武漢の街を歩きながら激しく嗚咽する若い女性の動画がネットで拡散された。2ヶ月以上外出していなかったこの女性は、3分間の黙とうの後、通りの信号が赤から青に変わり、車が再び動き始めるのを見て、泣きながら「私の街は一度死に、そして生き返った!」と叫んだ。
武漢はその扉を開いたが、新規感染者ゼロはリスクがゼロということではなく、都市封鎖の解除は予防・抑制対策の終了ではないことも我々は冷静に意識しておかなければならない。十分に感染予防・抑制を行って初めて、都市が本当の意味でこれまで通りの「生活の息吹」を取り戻すことができる。熱乾麺の香りが武漢の街中に漂い、武漢市の民主路に毎日人があふれるにつれて、悲しみはやがて癒されていくだろう。しかし、国と国民は、このウイルスとの闘いで武漢と武漢市民が極めて大きな犠牲を払ったことを忘れはしない。
「私たちはともに走り続ける。私たちはみな夢追い人だ」。武漢よ、再び共に出発しよう!(編集AK)
「人民網日本語版」2020年4月8日