武漢で82日間医療活動に従事した張伯礼院士が天津に戻る

人民網日本語版 2020年04月17日16:59

中国工程院の院士である天津中医薬大学の張伯礼学長(72)は16日、82日間にわたって医療活動に従事した湖北省武漢市から、高速鉄道で天津に戻った。

帰ってきた「英雄」を迎える車両を警護するバイク隊

72歳でハイリスクのミッション

春節(旧正月、今年は1月25日)の翌日に当たる1月26日夜、天津で、新型コロナウイルス感染拡大防止対策の指導に当たっていた張学長は、中央政府の新型コロナウイルス感染拡大防止対策指導グループから武漢に向かうよう要請を受けた。

1月27日から、張学長は指定医療機関や方艙医院(臨時医療施設)、コミュニティで感染状況を調査したほか、中医薬による治療について研究し、その処方を制定し始めた。

張学長は以前、武漢へ行くことが決まった時の心境について、思わず嗚咽し、声を詰まらせながらこう語ったことがある。

【張学長】当時の武漢は非常に深刻な状況であることは知っていたし、心の準備もして、自ら手を上げてでも行きたいと思っていたが、実際に武漢へ来ることが決まった瞬間は…。

【記者】なぜその当時のことを思うと、それほどまでにこみ上げてくるものがあるのか?

【張学長】悲壮感からだ。なぜなら当時、すでに武漢の状況は極めて深刻なことは知っていた。そして新型コロナウイルスについては、今とは比較にならないほど分かっていることは少なかった。私がすでに高齢なことは紛れもない事実。それにもかかわらず私を武漢に派遣させるということは、それほどまでに状況は深刻だということ。でなければこんな年寄りを行かせるわけがない。

初の中医学による治療センターである臨時医療施設の立ち上げ

2月12日、張学長率いる中医学「国家チーム」が江夏中医方艙医院での活動を開始した。

江夏中医方艙医院の熊侃副院長によると、総顧問である張学長は防護服を着用して、隔離エリアに入って回診し、患者の脈や舌苔(ぜったい)を見て、病状をチェックした。午前中いっぱい回診すると、防護服の中は汗だくになっていたという。

張学長の防護服に「がんばれ」と書く男性スタッフ

張学長の指導の下、江夏中医方艙医院で2種類の中医薬の処方が制定された。その後、同病院ではほぼ「各人につき1つの処方」が施されるようになった。

2月14日に運用が始まり、3月10日に閉鎖となるまでの26日間に、同病院では患者564人を受け入れ、392人が治癒して退院した。その他の患者は閉鎖後に江夏区人民病院と新型コロナウイルス肺炎患者受け入れ専門に建設された仮設病院・雷神山医院に転院し、治療、経過観察を受けている。閉鎖まで、同病院では重症化患者0人、一旦陰性になった後再び陽性になった患者0人、感染した医療従事者0人だった。

江夏方艙医院が閉鎖となり医療従事者と記念撮影する張学長

「肝胆相照らす仲」の武漢に、胆嚢を「置いてきた」張学長

極度の疲労から、張学長は胆嚢炎を患ってしまい、2月19日早朝、武漢で胆嚢を摘出する内視鏡手術を受けた。術後3日目にはまた仕事に戻ったという張学長は、「肝胆相照らす仲という言葉があるだろう?だから胆嚢を武漢に置いてきたんだよ」とユーモラスに語った。

張学長の息子も天津医療チームのメンバーとして武漢入りしており、父親が体調を崩したことを耳にし、見舞いに行こうとしたところ、張学長は、「来なくていい。自分の受け持ちの患者の治療をしっかりするように」と断ったという。

術後、張学長の両足には血栓症が生じ、医師から「少なくとも2週間は絶対安静にするように」と告げられた。それを聞いて焦った張学長は、医師の言うことをできるだけ聞いて、薬を多めにもらい、そして、最終的に1週間の入院で江夏中医方艙医院に戻ったのだという。

そして、今月16日午前、張学長は、82日間にわたり苦闘を繰り広げた武漢から高速鉄道で天津に戻った。

武漢駅で帰途に就く張学長(写真中央)

武漢を離れる際、張学長は、「武漢は英雄の都市。武漢の市民は多大な貢献をした。でも、もうしばらく我慢を続けなければならない。現在、武漢市は中国全土で一番安全な都市だ。私たちは武漢で、教え子もできたし、専門家による診療所も設置した。今後は2ヶ月に1回は武漢に来て、武漢と『親しく付き合う』」と語った。(編集KN)

「人民網日本語版」2020年4月17日

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