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さらば、宮崎駿! (2)

 だが堀越の苦難は続く。政治には関心を払わなかった堀越だが、特高課に目をつけられる。自分の仕事を愛し、全力で飛行機を設計・製造しただけの堀越だが、その飛行機は戦争の機械となる。映画の最後の場面で、零式戦闘機の残骸を前に、堀越は「一機も戻って来なかった」とのセリフを口にする。

 宮崎駿はこの作品を通じてどのような思想を伝えようとしたのだろうか。

 『風立ちぬ』の予告版は、「かつて、日本では戦争があった。大正から昭和へ、1920年代の日本は、不景気と貧乏、病気、そして大震災と、まことに生きるのに辛い時代だった。そして、日本は戦争へ突入していった。当時の若者たちは、そんな時代をどう生きたのか。イタリアのカプローニへの時空を超えた尊敬と友情、後に神話と化した零戦の誕生、薄幸の少女・菜穂子の出会いと別れ。この映画は、実在の人物、堀越二郎の半生を描く--。堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて。生きねば。」と映画を紹介している。

 堀越二郎も堀辰雄も実在の人物である。『風立ちぬ』という題名は、堀辰雄の同名小説から来たもので、その原文は、フランスの詩人、ポール・ヴァレリー(Paul Valery)の「風立ちぬ、いざ生きめやも」(Le vent se leve, il faut tenter de vivre)である。宮崎駿が表現したかったのは、「何があってもまずは生きていかなければならない」ということなのではなかろうか。

 主題歌の『ひこうき雲』は、『風立ちぬ』のために作られた歌ではない。この歌は、1970年代に荒井由実が歌ったもので、まもなく死のうとしている(一説には自殺しようとしている)少年の空と自由に対する憧れを表現したものとされる。松任谷由実に対するインタビューでは、「生きたいのに生きられなかった」と「生きられるのに生きなかった」というふたつの「死」のモチーフが語られている(2013年8月6日 読売新聞)。『ひこうき雲』のテーマは宮崎駿によって『風立ちぬ』に結び付けられ、主題歌に採用された。

 宮崎駿は、日本が過去に発動した戦争に対し、否定の態度を取り続けている。宮崎駿は、スタジオジブリの同僚である鈴木敏夫や高畑勲とともに、日本は平和憲法を維持するべきだという立場を多くの場面で示している。宮崎駿は6日の記者会見でも、日本政府は慰安婦に対する謝罪と賠償をするべきだと語っている。さらにその作品は、『紅の豚』にしても『天空の城ラピュタ』にしても、正義が悪に打ち勝つことがテーマである。だが『風立ちぬ』は、正義や戦争に対してはっきりとした回答を出しておらず、韓国人記者による前出の質問を呼んだ。

 『風立ちぬ』の表現内容には、テーマの孤立性や断片性といった特徴が見られる。その映画名や主題歌は、宮崎駿が他人のテーマの中から選びとったものである。宮崎は、主題をはっきりとさせることを避け、多くのばらばらなエピソードの積み重ねによって、“生”と“死”、個人と巨大な国家の機械、夢想と現実の関係といった哲学的問題に対する自らの答えを探そうとしたのかもしれない。だが宮崎駿はその回答を見つけたとは言えないだろう。主人公堀越二郎は愛する妻をなくし、全力を注いで作り上げた零式戦闘機もなくした。『風立ちぬ』がイタリアのベネチア国際映画祭で受賞を逃したのも、こうした宮崎監督の試みが多くの人に認められなかったことを示している。

 『風立ちぬ』は宮崎駿という天才の能力を使い尽くしてしまったのかもしれない。宮崎駿は『風立ちぬ』で一時的に方向を見失い、自らの探していたものを見つけられなかったのかもしれない。宮崎は記者会見の終了前に、本当に疲れた、今回の引退は本当の引退になると宣言している。

 さらば、宮崎駿!(編集MA)

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 「人民網日本語版」2013年9月17日

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