周雨霏:あなたが考えるのとは異なる日本 (2)
■ルールの核心を知らない日本人
日本へ来て、日本は私が想像していたのとは完全に違うことを発見した。まず、日本社会は効率が極めて悪い。第二に、日本人は一般的に責任感に欠ける。第三に、人権の蹂躙が日常化している。
日本に来たことのない中国人は皆、日本人が規則を遵守するという伝説を聞いているが、しかしこの規則を守るグループが逆に規則の核心を理解していない。例えば大学が博士課程の学生を募集する場合、ドイツでの流れは自分で教授に連絡し、テーマと研究計画書を提出し、多くの場合はインターネットを通じた面接でよい。しかし日本の事務関係者は一連の煩雑な手続きを生み出し、志望説明書やその他の様々な書類を記入しなければならず、様式は厳格で1文字の書き間違いも許されない。
実際、最終的に入学を決定するのは事務関係者ではなく教授会なのだ。なぜ彼らは手続きをこれほど複雑にするのか。学生も面倒に感じるだろうが、彼らの方がもっと面倒ではないのか。理由は「不信感」にある。
■日本社会は不信感に溢れている
日本社会の「不信感」はあちこちに見られる。例えばアルバイトの時、コンビにしろ大学院にしろ、一般に半年後、時には1年後の仕事の計画を記入しなければならない。今、半年後のある日に8時間働くことを決めるなんて、ばかばかしいとは思わないだろうか。日本人は計画性が特別に強いのだろうか。実際にはそうではない。計画が変化に追いつかず、後になっていい加減に終わらせることが多く、計画通りにいく場合は多くない。日本人の行動の原則は、まず決め、その後でダメなら調整するというものだ。
日本で予約(航空券や会議室、自動車教習場など)する場合、半月前に訊ねると全く空きがないのに、2日前に訊ねると空きがあるということがある。中国人にとってはおかしく感じるが、日本人はこれが規則だと考えており、「暗黙の了解」としている。こうしたゲームのルールの中で成長した人間はこうしたルールがおかしいとは感じないだろう。どんな社会でも、反抗する者は永遠の少数派なのだ。
■日本文化は集団犯罪を後押しする
日本人と西洋人の規則に対する理解は異なり、彼らは個人責任性ではなく集団責任制だ。例えば運転中で後ろの車が追突した場合、世界各地では一般に後方車に責任があるが、日本では異なり、前の車にも責任がある。日本人は法律制定の際の道徳基準が異なり、悪事に接点があるなら、その人物も潔白ではないというもので、こうした理念が深い根を張っている。これこそ、事件が発生した場合に皆が懸命に隠し、集団犯罪が後を絶たない原因だ。
ある笑い話で、南米のある部族の儀式で牛を殺す話がある。Aは牛の目を覆って隠し、Bは牛を縛り、Cは斧を渡し、Dが殺した。責任を追及された時、皆が「自分に罪はない」と主張し、最終的にどうなったかというと、4人は「斧」が犯人だと結論づけたという。日本人の「中国侵略戦争」責任に対する反省は、このレベルに留まっている。