北京市海淀区には、初期の鉄道路線「京張鉄道」の5番目の交差点だったことから「五道口」と呼ばれるエリアがある。五道口は現在、ますます多くの留学生が集まるエリアとなっている。留学生はここで勉強したり、仕事をしたり、起業したりと、自身の人生の1ページを刻んでいると同時に、この街の色にも染められている。新華社が報じた。
【留学】人生計画を立て始めたマレーシアからの留学生
マレーシア人の顔以恩さんは、韓国焼肉が好きで、しょっちゅう友達と五道口にやって来ては焼肉を食べている。
マレーシア華人四世の顔さんは、北京大学経済学院に通っており、「家族みんなに応援してもらって北京に留学した。インターネットで北京大学の校門の写真を見て、すぐに気に入った」と話す。
顔さんは子供の頃からマレーシアの私立学校で中国語教育を受けていたため、中国語を流ちょうに話すことができ、マレー語と英語もペラペラだ。他の留学生よりも、北京の文化環境にすぐにすんなりとなじんだ彼女は、「中国は最も身近な異国だ」と話す。
そして、「北京大学の中国人の学生と一緒にいるといろんなことを学べる。友人に影響をうけて、私も人生計画を立て始めた。今、多くの中国の企業がマレーシア、しいては東南アジア全体で業務を展開している。言語や文化的背景の面で、私にはメリットがあるほか、北京大学に留学した経験もあるので、帰国後はすぐに満足できる仕事が見つかるはず」とする。
【就職】未来はいろんな可能性に満ちていると話す香港地区出身の女性
五道口近くのインターネット企業で働く香港地区から来た李瑩瑩さんは取材に対して、「5年前、推薦入試で香港地区から清華大学の経済管理学院に来て勉強し始めた。私の原籍は福建省で、珠海で小学校に通い、香港地区で中学(中高一貫校)に通い、また中国大陸部に戻った」と話した。
李さんは、清華大学で勉学に励むだけでなく、バンドに所属し、ソフトボールチームのキャプテンを務めたこともあるという。
「どこから来た人でも、どんな文化的背景がある人でも、みんなが同じ方向に向かって努力する時、チームは大きな力を発揮する」と李さん。
卒業後、インターネット業界に就職した李さんは、「この業界は変化が速く、ユーザーの視点に立てば、いろんな新しいことにチャレンジできる」と話す。
【起業】中国は私の第二の故郷と語るパキスタンから来た男性
パキスタン人のザヘディさん(47)にとって、五道口は学生時代の「象牙の塔」だっただけでなく、起業のスタート地点となった場所でもある。
約20年前、ザヘディさんは、おじの勧めに従い、北京語言大学に留学して経済を専門に学んだ。パキスタンで長年中国系企業に現地でのサポート業務を提供していたおじは当時、「20年後の中国は想像もできないほど発展するだろう」と話していたという。
ザヘディさんは1994年、中国に公費留学のチャンスを手にし、卒業後は北京のある米国系企業で働いていた。その後、中国が「一帯一路」(the Belt and Road)イニシアティブを打ち出し、パキスタンと協力して中国―パキスタン経済回廊を建設することになったのを機に、会社を辞めて起業し、中国とパキスタンが共同で実施するプロジェクトの架け橋になる仕事をスタートさせた。
プロジェクトが増えるにつれて、交流や協力の機会を求めてパキスタンから北京に来る人もますます増えた。そこでザヘディさんは三里屯にパキスタン料理店をオープンさせ、そして、五道口にも店を構えるようになった。2店舗の店長とコックはいずれもパキスタン人で、食材や店内の装飾品、店内に流れている音楽なども全てパキスタンのものばかりだ。
「中国は僕にとって第二の故郷。中国で暮らしている歳月はパキスタンで暮らしている歳月より長くなっており、中国には僕のキャリアもかけている」とザヘディさん。(編集KN)
「人民網日本語版」2019年5月16日