「断崖村」が歩んできた貧困脱却の道

人民網日本語版 2020年12月07日11:02

急な山の斜面に作られた畑で農作物を作ったり、家畜を育てたりして暮らしてきた「断崖村」の村民は何世代にもわたり孤立した環境で生活してきた。饒国君/人民図片

四川省涼山彝(イ)族自治州の西昌市から昭覚県へと続くつづら折れの山道を進むと、風力発電用のプロペラを積んだトレーラーがゆっくりと走っていた。長さ40メートル以上のプロペラの片側は液圧プレスに固定され、もう片側は空に向いていた。誘導車に誘導されながら、山から突き出る障害物や樹木を、プロペラが次々と巧みにかわしていく様子は圧巻だった。

2018年5月5日に撮影された「断崖村」まで上るために以前使用されていた岩肌にぶら下がる木製のはしご。老兵/人民図片

イ族の運転手・阿布さんはこうした状況にはすでに慣れっこだ。近年、山は高く道は険しいことで知られる大涼山地区に、水道や電気、道路、インターネットなどが少しずつ通るようになり、目を見張るような圧巻のプロジェクトを、涼山地区の各地で見ることができる。そして、多くの人にとって以前なら想像もできなかったような施設が、貧困を脱却した今では、すでに日々の暮らしに不可欠なものになっている。

今回の取材の目的地である昭覚県支爾莫郷阿土列爾(アトゥラール)村もその典型的な例だ。つるや木で作られたはしごから鉄パイプ製のはしご、そして「階段のある団地」へと、村民たちは険しい貧困脱却の道を歩んできた。

岩肌に沿って建設された鉄パイプ製の階段。完成後、村民の上り下りは便利で安全になり、「断崖村」にも電気、インターネットが通った。饒国君/人民図片

アトゥラール村では、「ここの山道は険しいものの、気候が良く、盗賊の襲撃や騒乱などに巻き込まれることもなく、住みついて農牧業をするのにも適しているのを発見した先祖が移り住み、隔絶された環境で自給自足の生活をしてきた」と、六、七世代にわたって語り継がれてきた。

しかし、先祖の目には、自然豊かな山に囲まれ浮き世を離れた「桃源郷」に見えたこの地の特徴は、今は時代が変わり、村民にとっては素晴らしい生活実現を阻む障害となっていた。同村と山の下の標高差は約800メートルもあるため、「断崖村」と呼ばれてきた。この「断崖村」を出るためには、以前は湿っていて滑りやすいつるや木で作られたはしごを使わなければならなかった。そして、公道やインターネットもなければ、電気の供給すら不安定だった。村民たちはそこで土壁の家に住み、自給自足の生活を送っていた。山の下の物資を村まで運ぶことも、山の上の村民が下りてくることも難しい状況だったからだ。

2018年5月5日に撮影。鉄パイプ製の階段を上って断崖村に帰る村民。老兵/人民図片

2017年の全国両会(全国人民代表大会・全国人民政治協商会議)会期中、習近平総書記は四川代表団審議に参加した際、「断崖村」に鉄パイプで階段を新しく作るというプロジェクトに特に関心を示した。鉄パイプを溶接して作るこの階段は、計2556段で、長さ2.8キロ、幅1.5メートル。頑丈に溶接して組み合わされた鉄パイプ製の階段が、ほぼ垂直の岩肌をつたい、しっかりと固定されている。

鉄パイプの階段で繋がったことで、山の上り下りは以前に比べるとかなり楽になった。それから1年も経たない間に、アトゥラール村には電気、インターネットが通り、4Gの電波も届くようになって、社会との関係も強化されるようになった。そして、「鉄パイプ製の階段」を体験し、断崖絶壁の上にある村に行ってみたいという観光客が集まるようになって、観光業の收入が急増した。2019年、「断崖村」を訪れた観光客は延べ10万人で、村民に約100万元(1元は約15.9円)の収入をもたらした。

2018年1月、「断崖村文化観光プロジェクト」が始動した。子供たちは保護者が見守る中、鉄パイプ製の階段を上ると、安全であるだけでなく、度胸を鍛えることができる。饒国君/人民図片

2020年5月、「断崖村」の貧困世帯84世帯は、貧困者支援のために建設された住居に移転し、「階段のある団地」に住むようになった。村民らの移住は海外メディアの注目も集め、米CNNの記事は、「村民の雲と霧の中での生活は幕を閉じた」と伝えた。

新しい居住地となった昭覚県の中心地に近い場所にある南坪コミュニティは清潔で整然としていて、家も広々としていて明るい。そして、定期的に、文化活動やスポーツ活動が企画され、皆が楽しく暮らしている。その近くには幼稚園や学校、病院などの公共サービス施設もある。放課後、子供たちはつるや木で作られたはしごを登って家に帰る必要はなく、コミュニティの施設で友達と楽しく遊ぶことができる。

涼山地区のあるネットユーザーは、「高い所は怖くなく、よじ登ることが得意というのが、以前の涼山地区のイ族自慢の得意技だった。今、昭覚県内に住む子供たちは、その『得意技』を受け継ぐ必要はなくなったけど、もっと楽しく暮らしている」と綴っている。

2020年9月12日、移転先となった四川省涼山州の新居で、家族と一緒にテレビを見る村民・阿約火日さん。邱海鷹/人民図片

涼山地区のイ族のもう一つの「得意技」は、「おもてなし」で、歌を歌ったり、踊ったりするのも好きだ。イ族の人たちは、生まれつきガイドとして、観光客をもてなすのに向いているのだ。「断崖村」の村民の多くが転居したものの、約30世帯は村に残り、観光プロジェクトの開発に参加している。今後、「断崖村」には、ロープウェイや「断崖民宿」などが建設され、ここでしか味わうことのできない観光体験が提供されるようになる計画だ。そして、そこは中国の貧困脱却のための取り組みの成果を展示する「博物館」となるだろう。「断崖村」がさらに開発されるにつれて、さらに多くの村民が観光を頼りに生計を立てることができるようになるだろう。

それ以外にもバラエティーに富む支援政策のサポートの下、村民らは、標準中国語である「普通話」や新しいスキル学んで、涼山地区のインフラ建設やサービス、貧困者支援産業などに参加できるようになっている。隔絶された環境の農業経済が幕を下ろし、「一歩進んで、千年タイムスリップ」するような変化を経験し、高齢者もケアされ、若者には仕事があり、子供もきちんと教育を受けることのできる現代のライフスタイルに少しずつ溶け込んでいる。

貧困脱却のための取り組みが実施され、以前は孤立していた「断崖村」に各地から観光客が訪れるようになって賑やかになり、その独特の魅力で新たな未来を切り開いている。

「人民網日本語版」2020年12月7日

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