中国でも大ヒット中の「すずめの戸締まり」など新海誠作品をはじめとした映画プロデューサー、脚本家、小説家、映画監督などとしてマルチに活躍する川村元気氏が、北京国際映画祭に合わせて、初の長編映画監督作品「百花」を携えて訪中した。映像表現へのこだわりや中国との縁などについて川村監督にインタビューした。人民網が伝えた。
北京国際映画祭で「百花」の上映後に開かれた交流イベントで観客と記念写真を撮る川村元気監督(写真前列中央、写真提供・北京国際映画祭)
■映像表現に「発明」が欲しい
映画「百花」を製作するにあたっては、「映像表現に発明が欲しい」と考えたという。実際、「百花」では様々な試みが行われている。その一つが、ワンシーンをワンカットで撮影する手法だ。その理由として川村監督は「現実にはカットがかからない」ことを挙げた。また、実際の生活の中では、一つのことをしている時に頭の中では別のことが浮かぶこともある。認知症患者の頭の中では、現実と過去の記憶が混在してしまうこともある。そうした「人間の脳の機能、脳が見ている景色をそのまま映像化しよう」というコンセプトのもと、ワンシーンをワンカットで撮ることによって、「認知症患者の頭の中では、本来ならつながらないはずのものがつながっていく」様子を表現した。
もう一つはカラーマネージメントだ。「アニメーションのアイデンティティがある」という川村監督は、「キャラクターを全部カラーマネージメントして色の配置を決め、それで美術や衣装を決めていくという手法を取った」という。作品の中で、母である百合子は黄色、息子である泉は紫の衣装を着用している。川村監督はその理由を、「黄色はヒマワリやタンポポなど花というものを表現するのに象徴的な色。息子の泉はお母さんの黄色の補色である紫にしているんですよね。補色はカラーチャート上は最も遠くにあるけれども、組み合わせると最も美しい組み合わせになると言われている色。最も美しい関係性でありつつも、最も分からない相手でもあるという母と子の関係のメタファーとして色を選んでいます」と説明する。また、若い頃は濃い黄色を着ている母親が、記憶が薄れていくにつれて色が薄くなり、最後は白になっていくという色の濃淡からも、観客が色で感覚的に記憶の濃淡を感じられる仕掛けになっているという。
また、音楽面でもある工夫が凝らされている。「百花」では作中で流れる音楽がそのまま映画音楽のように使われた。この点について川村監督は、「音楽や音はすごく記憶と結びついていると思う」としたうえで、「誰もが聞いたことがあるバッハやシューマンの曲が、記憶の中で一回壊れていって、それがまた全然違うメロディーとして再構築されていくという、実際聞こえている音と映画の音楽の狭間のようなものを使って、音でも記憶を表現するというトライをしています」と語った。
北京国際映画祭で「百花」の上映後、観客にサインを求められる川村元気監督(写真提供・北京国際映画祭)
■マルチな活躍の根底にあるのは「物語」と「音楽と映像の関係性」
川村監督は映画監督やプロデューサーのほかにも、脚本家や小説家など様々な肩書で活躍している。その成功のポイントについて聞いてみると、「二つある」と自己分析した。
「一つはやっぱりストーリーを作るということですよね。それがプロデューサーの立場でも、監督の立場でも、作家の立場でも、最も重要だと思って、物語を作っています。すべてのアート、すべてのエンターテインメントにおいて核になっているのは物語だと思っているんで、そこを作るということに対して、一番執念があるというか、そこがポイントだと思っています」と川村監督。自身でもSTORYという名前の会社を作ったことからも、物語を重要視していることがうかがえる。
そして、「もう一つは映像と音楽をどう関係させるかというのをずっとやってきました。『音を使って物語や人間の感覚を表現する』というのは自分の武器だと思いますし、それがどのジャンルでも、小説を書く時ですら、音の要素と言うのは僕の中では非常にポイントになっています。それが、グローバルに受け入れられ、どのジャンルでも汎用性のある技術なのかなというふうに思っています」と語った。
■自分の足元を掘り下げれば海外の観客や読者にも届く
川村監督の作品は、プロデュースした映画作品が中国やアジアでヒットしたほか、「世界から猫が消えたなら」「億男」「四月になれば彼女は」そして「百花」などの小説や、対談集「仕事。」も中国語に翻訳され、出版されている。しかし、特に中国やアジアの市場を意識して作品を作っているわけではないという。
「僕が東京で生きていて、今のこの時代に対して感じている不安や、こういうことが起きたらいいのになという欲求は、世界中につながっていて、みんな同じような感情を抱いているような気がしているんです。僕がこの自分の足元をきちんと掘り下げて、自分にとって切実な問題を掘っていくと、結果としてそれが(海外の人たちの)同じような感覚にもつながっていたんですね。それは映画でも小説でも同じ。きちんと自分たちの日常で感じている切実なことを描いていくことが大前提です」。
ただ、その表現においては、「アジアやヨーロッパ、北米などに届くような表現があるはず」とも言う。自分にとって切実なことを描くことと、「今世界でどういう映像感覚や音楽の感覚が面白がってもらえるのかということに対しての意識を、両方ともきちんと持って作品作りをしている」という。
中国で出版された川村元気氏の著書「仕事。」の中国語版「楽業。」と「百花」の中国語版「我和媽媽的最後一年」(撮影・張麗亜)
■中国でコラボしたいのは劉慈欣と畢贛(ビー・ガン)
コラボレーションしたい中国の作家や映画監督について尋ねると、川村監督は真っ先に劉慈欣氏を挙げた。
「彼の書く小説は素晴らしいと思いますし、ああいうSFで、しかも大作感のあるものを書けるアジアの作家が現れたなと感じ、とてもすごいなと思いました。(劉慈欣は)映画のプロデュースにも参加していますし、僕も自分で小説を書いて映画も作ったりする人間なので、憧れの存在として、いつか一緒に仕事をしてみたいなと思っています」。
川村監督は対談集『仕事。』で日本の文学界や芸術界の巨匠12人と対談している。中国人で対談してみたい人は?」という質問に対しても、川村監督はやはり劉慈欣氏を挙げ、「彼がいったいどういうことにインスパイアされて物語を書いているのか、どういう生い立ちで、何を見て育って何を読んで育ったらああいう発想になるのかを聞いてみたい」と語った。
さらに、カンヌ国際映画祭にも登場している畢贛(ビー・ガン)監督の名前も挙げた。「どうやったらこういうロケーションを見つけてくるんだろうかという信じられないような景色が彼の映画には映っているんで、羨ましいなって思いますよね。畢贛監督の作品を観ると、ロケーションとしての中国の魅力を感じるんで、どうやってあの場所を見つけているのかを聞いてみたいと思います」と語った。
■中日双方向の交流で作品の多様化を
北京国際映画祭で作品が上映された後に行われた交流イベントでは、多くの観客から質問が飛び、比較的早期のプロデュース作品である「告白」についても触れられるなど、川村監督がこれまで携わってきた作品が広く中国の観客に届いていることをうかがわせた。中国で作品が受け入れられていることについて、川村監督自身は「『すずめの戸締まり』みたいなど真ん中のエンターテインメントを受け入れる土壌ももちろんあると思いますけれども、一方で今回の『百花』とか『告白』のようなアートとエンターテインメントの混じり合った作品も面白がる観客が(中国にも)いるということかなと思います。ある種のカルチャーを含んだものを読み解く力のある観客がいっぱい中国にいるからなのかなというふうに感じています。エンターテインメントやアニメーションが主流でありつつも、こういう実写の『告白』や『百花』のような映画が中国の観客に届くと、お互いに作るものの多様化が進んでいいんじゃないかなあと思っています」と語った。
近年、「羅小黒戦記~ぼくが選ぶ未来~」や「ライオン少年」など、中国の映画・アニメ作品の日本市場進出も続いている。これについて川村監督は、「すごくウェルカムですよね。中国もそうですし、韓国とかもそうかもしれないですけれど、いろいろな作品がアジアで作られていくべきだと思いますし、ヨーロッパとか米国も含めて、いろいろな国でいろいろなジャンルのアニメーションが作られて、それが観られるということが映画にとってすごく豊かなことだと思うんで、それをとても楽しみにしています。実際、僕も『唐人街探案3』(僕はチャイナタウンの名探偵3)を日本でロケーションした時にキャスティングなどのお手伝いをさせていただいています。今後もそういう交流が活発になっていくとうれしいです」と語った。(文/勝又あや子)
「人民網日本語版」2023年5月12日