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べっ視が消えるのを夢見て (2)

日本人ボランティア、中国での10年

 幸いにも、難関は一度だけだった。その後の募集活動で、原田さんは反響がより熱烈になるのを感じた。2003年8月、初めての中国ボランティアがワークキャンプに参加した。2004年1年、広東、広西、雲南の3省・自治区でのキャンプは13回を数えた。同年8月、原田さんが事務局長となる「家(JIA:ジア)」ワークキャンプボランティア協会が広州で誕生した。

 2012年末までに「家」の提唱のもと、延べ約1万1400人のボランティアが広東、広西、湖南、湖北、海南の5省・自治区で、ハンセン病リハビリ村61カ所、山間学校19カ所で延べ522回のワークキャンプが営まれた。うち9割以上は中国のボランティアだった。

 多くのハンセン病リハビリ村は長期にわたり世間と隔絶されている。村民は自給自足で、外界との往来はほとんどない。大学生たちは村に入り、お年寄りの手を引き、無言実行をつづけた。周りの社会からべっ視が消え始め、リハビリ者を快く受け入れるようになった。中国でのボランティアとして、原田さんは志を同じくするパートナーのみならず、愛情をも得た。2005年、彼は最も早くキャンプに参加した中国のボランティア、蔡潔珊さんと結ばれた。披露宴は広東省潮州市の嶺後ハンセン病リハビリ村で催された。二人の長女の名は、原田嶺後さんだ。

 結婚して子どもを授かり、中国に根付いた原田さんは、自分がもう日本に定住することはないことを知っている。むしろ、「家」の長期的発展を考えている。2012年、公益慈善組織を含む広州市の社会組織として、「家」事務局は広州で正式にNGOとして民政登録された。

 ハンセン病は現在、中国では基本的にすでに消えた。リハビリ者らは高齢化しつつあり、亡くなる人も相次いでいる。「初めて嶺後村に来た頃、14人のリハビリ者の方がいらっしゃったが、いまでは4人だけだ」と原田さん。遠くない将来、ハンセン病村は中国から消える可能性があるため、「家」ワークキャンプも山間学校に活動範囲を広げるつもりだ。

 「ハンセン病村がなくなっても、『家』は堅持する。自分はここに留まる。より多くの若者がワークキャンプに参加し、ボランティア活動の中で成長する姿を見届けてゆきたいから」(編集HT)

 「人民網日本語版」2013年8月1日

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