朝鮮戦争を忘却すべきでないのはなぜか
1953年7月27日、朝中代表と「国連軍」代表が朝鮮の板門店で朝鮮戦争休戦協定に署名した。これによって3年1カ月2日におよんだ朝鮮戦争は完全休戦を実現し、朝鮮半島は残酷な洗礼を経て、ようやく平静を取り戻した。(文:銭利華・本紙特約論説員、全国政協委員。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
朝鮮戦争は第2次大戦終結からわずか5年、日本による朝鮮半島の植民地支配の終結からもわずか5年、中華人民共和国の成立から8カ月で勃発した。世界の人々が第2次大戦の悪夢からやっと解放され、希望に満ちて平和を迎え、故郷を再建している最中に、戦争が勃発した。しかも戦争の凄惨さ、死傷者の多さ、消耗の大きさは、過去のいかなる局地戦争をも上回るものだった。中国はこの戦争のために多大な民族的犠牲を払い、高い代償を支払った。
朝鮮戦争を忘却してはならないのは、間違った時に勃発したからだ。中国は解放されたばかりで、復興任務が山積みなうえ、大変な残敵追撃任務も抱え、台湾問題とチベット問題も早急な解決を要していた。時宜にかなわぬ戦争によって国内事業は徹底的に混乱し、中国共産党と中国政府は厳しい試練に直面した。出兵しなければ朝鮮の政権は滅び、米国の勢力がわが東北国境にまで迫り、北東アジアの戦略構造は一変する。出兵すれば、最も強大な敵と戦うことを意味し、巨大な代償は避けようがない。だが中国の指導者の胆力と識見と知恵は近視眼と狭隘に打ち勝ち、朝鮮戦争を通じて中国人の威風と気概を示し、中国の国際的声望を高め、北東アジアに60年間の平和を築いた。
朝鮮戦争を忘却してはならないのは、間違った場所で勃発したからだ。第2次大戦終結から間もなく、欧州で冷戦が始まった。米ソは共に欧州に戦略の重心を置き、積極的に戦争に備え、一挙に勝敗を決する構えを呈していた。第2次大戦後初の局地戦争がアジアで勃発するとは誰も予想していなかった。実際のところ、朝鮮問題は米ソが勢力範囲の線引きをしたことでもたらされたものであり、冷戦の産物でもある。1945年8月、ソ連が極東で強大な勢力を誇り、朝鮮半島を単独占領する勢いにあるのを目の当たりにした米国は、北緯38度線を境界とし、以北の日本軍はソ連軍に、以南の日本軍は米軍に降伏することを提案。朝鮮は「38度線」によって分断された。その後数年間の準備を経て、北南双方共に相手を平らげ、祖国統一を実現する能力があると考えるにいたった。したがって朝鮮戦争は第1に内戦であり、間違った判断に基づき引き起こされた戦火だったのだ。