シリアへの武力行使はイラク戦争より深刻な結末をもたらす
ここ2日間、いわゆるシリアの「化学兵器」問題がますます誇大宣伝され、米国など一部西側国は対シリア武力行使の声をにわかに強めている。具体的時期については様々な憶測が飛び交っているが、「攻撃」の矢はすでにつがえられ、後戻りできない事態となっているようだ。国連調査チームの調査が完了していないこと、シリア政府に対する告発に確実な証拠がないこと、武力行使が国連安保理の承認を得ていないことは、こうした西側国にとっては二の次のようだ。(文:伍亜飛・国際問題評論家。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
人道上の危機も、化学兵器という「越えてはならない一線」も、彼らにとっては異分子を叩き、利益を奪取するための名目に過ぎないようだ。コソボ、イラク、そしてリビアと、西側国はすでにこの手口に熟達している。
だがこの手口は弄しすぎたようだ。人々はその本性をよりはっきりと見抜いている。10年前に米国が発動したイラク戦争では、イラクの市民10万人余りが死んだが、戦争発動の口実が稚拙な嘘であったことはとうに証明されている。2年前に西側が「市民保護」の旗印を掲げて発動した対リビア軍事介入では、リビアの市民3万人以上が巻き添えになって命を落とした。さらに心が痛むのは、イラクとリビアが今なお戦争の後遺症から抜け出せず、混迷と流血が続き、テロ勢力や過激派が台頭し、「失敗国家」の瀬戸際でもがいていることだ。西側国の武力行使は泥沼を残し、その結末はほぼ全て現地の人々に押し付けられた。この教訓は重い。