歴史を鑑として初めて中日は「氷を砕く」ことができる
習近平総書記は25日、訪中した日本・公明党の山口那津男代表と会見した。習総書記は「歴史を鑑として初めて中日は未来に向かうことができる。日本側は中国人民の民族感情を尊重し、歴史問題を正しく処理すべきだ」と表明した。(文:馮◆・復旦大学歴史学部教授、日本研究センター研究員。人民日報海外版公式サイト「海外網」掲載)
習総書記のこの談話によって、しばらく困難に陥っている中日関係をいかに改善、発展させるかの方向性がはっきりと指し示された。中日関係を改善できるかどうかは戦略的互恵、経済貿易の相互利益、国民間の相互信頼を実現できるかどうかによって決まる。三者は互いに交錯し、影響し合っているが、最も困難かつ最も鍵となるのが国民間の相互信頼の確立だ。国民間の相互信頼の確立を難しくしている釣魚島(日本名・尖閣諸島)、靖国神社、南京大虐殺、歴史教科書の「四大問題」はいずれも歴史問題だ。そして安倍氏を含む日本政界の一部要人が歴史問題において中国人民の感情を繰り返し刺激している最も根本的な原因は、日本社会に逆巻く極端な民族主義的思想傾向の存在にある。このため、日本の極端な民族主義を取り除き、日本に歴史への省察を行わせ、国民間の相互信頼を確立することが、中日関係改善の鍵となる。
なぜ日本は今にいたるも真に「歴史を鑑にする」ことができないのか?なぜ一部の極右政治屋は「歴史にかこつけて息を吹き返し」民意を煽動する手段によって、自らの政治的目的を達成することができるのか?これは探究に値する問題だ。
敗戦後、日本政府は「一億総懺悔」を打ち出した。だがこれは日本の学者、大沼保昭氏が言うように「最も責任の重い者が、最も責任の軽い人々に一律に総懺悔を呼びかけたもの」だった。歴史への深い省察および戦争責任を担う歴史意識の欠如は、依然として日本社会にあまねく見られる。安倍氏が「村山談話」に代わるものとしていわゆる未来志向の「安倍談話」を企んでいることの大きな原因もここにある。
歴史への省察が欠如しているより大きな原因は、戦後に日本の政治体制と政権機構が粉砕されなかったことにある。これは同盟国だった日本とドイツの戦後改造の最大の違いでもある。冷戦構造形成後、大量の戦犯と戦犯容疑者が釈放され、再び権力を握った。このうち安倍晋三氏の外祖父で第2次大戦のA級戦犯である岸信介は1957年から2回首相に就任したうえ、在任中に「日米安保条約」を改定した。安倍氏の靖国神社問題における姿勢および「日米同盟」の強調は、その外祖父と同じ流れを汲んでいる。