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南京に暮らす日本人たちの生き様(二) (2)

人民網日本語版 2017年01月22日11:21

写真出典:箭厰動画「南京で生活する日本人」

2000年、石川さんが初めて南京の土を踏んだ時、3年で帰国するつもりだったという。この年、日本の「新しい歴史教科書をつくる会 」が文部省(当時)に2冊の教科書検定を申請、日本が戦争中に行ったさまざまな戦争犯罪を覆い隠そうとした。同年、中国国務院の朱鎔基総理(当時)は、東京にあるテレビ局の放送室で日本の民衆と対話した。朱鎔基元総理は、「誰しも歴史を忘れてはならない。歴史を忘れることは裏切り行為に等しい。歴史を直視し、未来に対峙すべきだ。歴史から教訓を得て、過ちを繰り返してはならない」と強調した。

だが、当時の石川さんは、中日関係に注目する暇などなかった。彼女が小さい頃学んだ「南京大虐殺」は、教科書に小さく書かれた目立たない事件に過ぎなかった。

当時の彼女は、切迫した問題を抱えていた。「日本語を教える外国人教員として、どの国で日本語を教えるべきか?帰国後はより良い仕事に就けるのだろうか?日本で日本語を学ぶ中国人も多いし...」。最初、彼女は瀋陽に行くつもりだった。だが、仕事をすることになっていた日本語学校が突然閉校してしまった。「荷物の準備も終わり、部屋の賃貸契約も打ち切った。ビザも降りたのに、一体どうすれば良いのだろう」―彼女は途方に暮れた。

「南京に来ないか?」と彼女に提案する人がいた。彼女は深く考えずにその提案を受け入れた。この時の選択によって、彼女の運命は大きく変わっていくことになる。

授業を受け持った大学で、彼女は建築学科で教える、地元の男性教員と知り合いになり、恋愛関係となった。彼女は帰国するタイミングをずるずると延長した。ついに彼女は、「南京で結婚したい。日本には戻らない」と家族に打ち明けた。だが、両親からは、「帰ってこないのなら、もううちの娘ではない」と非情な返事がかえってきた。その時から、両親から娘に電話をかけることはなくなり、娘に会いに南京へ行くこともしなくなった。男性側の両親も結婚に反対だった。親戚の多くが、「日本人は単なる友達なら良いが、結婚はやめた方が良い」と男性を説得しようとした。

このように、国籍を超えた恋人たちと双方の実家との膠着状態は続いた。

ある日、石川さんは夫の祖母に会う機会があった。南京人の祖母は、1937年の南京大虐殺の時、南京から逃れた経験がある。高齢のため耳が遠くなった祖母は、ソファに小さくなって座っていた。石川さんは、祖母の耳元で、「おばあちゃん、あなたの孫が日本人女性と結婚しても構いませんか?」と尋ねた。

「あの時、祖母が受け入れてくれなかったら、私は結婚を止めるつもりだった。彼女は日本人の残虐な行為を自分で目にしており、それに加えて中国人は家庭を非常に大切にする民族だったから」と石川さんは当時を振り返った。

だが、祖母は少しもためらう事なく、「問題ない、問題ないよ」と彼女に答えた。


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