項明生(James Hong)が1985年に四川から香港地区にやって来た時、彼はちょうど16歳だった。広東語は全く話せず、英語もつたなかった彼は、香港地区で新聞売りやビラ配りなどの単純な仕事にしか就くことができなかった。だが、並々ならぬ努力によって、仕事をしながら勉学に励み、香港大学に合格した。1992年に大学を卒業した時には、広東語、英語、日本語が堪能になっていた。
彼は卒業後、日本のソニーに入社した。マーケティング部の平社員からスタートし、とうとう理事職にまで昇りつめ、同社初の中国人理事となった。
項さんは、「今の社会は、非常に公平な社会だ。当時、新聞売りやビラ配りの報酬は、時給10香港ドル(1香港ドルは約14.3円)、月収で3千香港ドルだった。真夏の街頭に数時間立ち続けなければならず、蒸し暑さで倒れそうになるほどだった。そのため、あの頃の夢は新聞売りやビラ配りではなく、エアコンの効いたオフィスで仕事をすることだった。今でも、新聞売りやビラ配りの姿を見ると、思わず受け取ってしまう」と話した。
「人生の前半は、ずっとお金を追い求めてきたが、一生お金のためだけに働き続けるべきではないと思う」と彼は続けた。
そんなとき、「世界一周旅行をしたい!」という少年時代の夢が再び蘇った。そこで項さんは、経済的な心配がなくなった時に「高額の報酬」を放棄し、「人生の後半は遊んで生きよう」と決心した。「働いている人は誰でも、旅に出たいと望んでいる。だが、休暇は永遠に増えることはなく、年に十数日しか取れない。そこで私は、退職という道を選んだ。1年365日のロングバケーションを自分自身に与えたのだ」。
旅という「遊び」に対しても、項さんは真剣に取り組んだ。コラムを書き、画像を撮影するうちに、旅という「趣味」が、高収入を得ることができる「仕事」に転じた。「旅のエキスパートという考え方は、非常に斬新なコンセプトだ。これまで、このような職業は存在しなかった。旅行を深いレベルまで突き詰めた結果、かなりの報酬を得ることができるようになった」と彼は述べた。
さらに彼は以下のように続けた。
「今が最も良い時代だ。安定しており平和で、天災もない。香港地区という恵まれた地に感謝し、大切にしつつ、自分が心地よいと感じる場所に出かけていく。そのためには、変化を恐れず、夢を追求する勇気を持たねばならない」。
「今の世の中は、誰にでも平等にチャンスが与えられている。とりわけ若い人は、チャンスに恵まれている。マジック、料理、歌など、目指している夢がどんなものであっても、決してその夢を諦めてはならない」。(編集KM)
「人民網日本語版」2017年6月19日
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