四川省甘孜蔵(カンゼ・チベット)族自治州で郵便輸送トラックの運転手をしている其美多吉(59)さんは30年以上にわたって、標高平均3500メートルの雪道でトラックを走らせ、郵便物を青蔵高原(チベット高原)に住む人々の元に送り届けてきた。これまでの走行距離は累計で140万キロ以上に達し、赤道を35周する距離に匹敵するという。
30年以上無事故で紛失もゼロ
1989年、当時26歳だった其美多吉さんは、郵便輸送トラックの運転手になり、1年のうち大半の期間が雪に覆われ、「雪線郵路」と呼ばれている郵便輸送路を走り、標高が最も高く、道路状況が最も複雑な甘孜県と徳格県の間を行き来するようになった。1往復するのに、標高4500メートル以上の高山を10座以上越えていかなければならず、なかでも標高6168メートルの雀児山の山道は、一番狭い所の幅がわずか4メートル未満で、加速したりギアを変えたり、方向転換をしたりする際にはまるで薄氷を踏むように慎重に運転しなければならなかった。
それでも、其美多吉さんは決して諦めることなく、「郵便物がある限り、トラックを走らせ、人が住んでいるならどこでも郵便物を届けにいく」という強い意志を貫き、ハンドルを握り続けてきた。
雪道をトラックで走る其美多吉さん。
約30年間にわたり、其美多吉さんは無事故で、郵便物を紛失したことも一度もなかった。「30年以上、郵便輸送路を走るというのは孤独で、とてもつらい気持ちになったこともある。でも、これは私が選んだ道で、後悔したことは一度もない」と其美多吉さん。
「郵便輸送路を走って郵便物を送り届け、困っている人を助ける」
2012年7月、其美多吉さんはトラック運転中に、暴徒に襲われ、集中治療室(ICU) で1週間にわたり集中的な治療を受け、ようやく一命を取り留めた。退院後、左手の靭帯断裂が完治していなかったため、しばらくの間、トラックの運転をすることはできなかったものの、1日も早くハンドルを握ることができるようにと、激痛に耐えながら、つらいリハビリを懸命にこなした。そして左手が奇跡的に回復すると、1年後には、家族の反対を押し切って、再び「雪線郵路」をトラックで走る生活に戻ったという。
其美多吉さんは長年、山で工事を行う人々が緊急に必要としている生活物資を山の下から運んだり、トラックに積んでいる酸素ボンベや医薬品を、必要としている観光客にあげたり、渋滞に巻き込まれると、同僚と一緒に「臨時交通警察」になって、交通整理を行ったりしてきた。
今年9月5日、四川省甘孜蔵族自治州瀘定県で地震が発生した時も、其美多吉さんはすぐに救援物資輸送の隊伍に加わり、トラックで被災地に牛乳やビスケット、ミネラルウォーターなどを届けた。「郵便輸送路を走り続け、郵便物をきちんと送り届け、困っている人がいたら必ず助ける」と其美多吉さん。
目覚ましい変化を遂げた故郷で「ハンドルを握り続ける」
其美多吉さんは近年、故郷が目覚ましい変化を遂げるのを目にしてきた。例えば、雀児山トンネルが開通し、2時間かかっていた場所にわずか十数分で行けるようになった。「以前は4トントラックを1日に1台走らせるだけだった。でも、今は12トントラックを1日に4台走らせている。しかも満載で」と其美多吉さん。
中国共産党第20回全国代表大会の代表として其美多吉さんは、「これからも、多くの人々にサービスを提供していきたい。必要としている人がいる限り、僕はハンドルを握る!」と決意を語った。(編集KN)
「人民網日本語版」2022年10月21日