中国ジャイアントパンダ保護研究センター臥竜神樹坪基地は、ジャイアントパンダの野生復帰を行う場所だ。うっそうとした青い山林に乳白色の雲霧がゆらゆらと立ち上り、木々の間からは時折パンダがひょっこりと姿を現す、とても神秘的な世界だ。何気なく顔を上げると、パンダが木の股にぶら下がって脚を揺らす情景が目に入るかもしれない。「環球人物」が伝えた。
見物のための賑やかな行列もなければ、「追っかけ」ファンの姿もめったにない。パンダたちは人間の存在を気にすることなく、思い思いの恰好で、そして人間には思いもかけないいろいろな場所から姿を現す。
うっそうとした森林と雲霧の奥深くには、臥竜ではすっかりおなじみになった「姿の見えない人間」がいる。彼らの一番の願いは「姿を隠して」大切に見守ってきたパンダを完全に山林に返すことだ。そこがパンダの本来住むべき場所だからだ。
臥竜神樹坪基地の責任者の魏栄平さんは、31年前に四川畜牧獣医学院を卒業すると、中国ジャイアントパンダ保護研究センター臥竜神樹坪基地に配属された。
魏さんによると、人工飼育パンダを野生に返してはじめて、野生環境の個体群の数を増やすことができ、最終的に野生パンダの個体群を回復させることができる。「だから私たちは、模索と前進の歩みを止めてはならないと絶えず自分たちに言い聞かせている」と魏さん。
子パンダを抱きかかえる魏栄平さん。(撮影・何海洋)
人工飼育パンダの野生化トレーニング・復帰地点には同センター臥竜核桃坪基地が選ばれた。高い山に囲まれているここは、パンダの本来の生息環境に非常に近い場所だ。野生復帰までの道のりはわずか数百メートルのように見えるが、パンダにとってはパンダ舎から自然の山に移るのは非常に困難な道のりだ。
「人間のいない」世界
同センターの専門家の呉代福さんは強い四川訛りで話し、素朴で親しみやすい笑顔が印象的だ。呉さんとそのチームは過去の事例や経験から、「パンダの赤ちゃんが生まれると、人間は姿を隠し、母パンダが赤ちゃんを育てる」という方法を編み出した。生まれてすぐに野生化トレーニングを開始し、赤ちゃんが人間に依存しないよう、野生の状態を保てるようにした。
そこで呉さんたちはパンダのために「人間のいない世界」を作りあげることにした。
これにより、同センターに誕生したパンダの赤ちゃんを巡る環境は、人工飼育されるパンダの赤ちゃんとは全く異なる環境になった。暖かいパンダ舎も、たっぷりミルクが入ったバケツも、決まった時間になると家まで抱きかかえて連れ帰ってくれる「育ての親」もいなくなった。
しかし姿を隠してはいても、実際には飼育員はあらゆるところにいて、異なるスタイルでパンダたちを守っている。
顔にフィットしたパンダのかぶりものをかぶり、黒と白の服を着込み、人目を忍ぶように動く飼育員の写真を見たことがあるかもしれない。誤解しないでほしいのは、決してふざけているわけではないということだ。
飼育員が着ているのはオーダーメードの「カモフラージュ服」で、「パンダ服」とも呼ばれている。表面にはパンダの尿や糞をこすりつけ、人間の匂いを消す必要がある。
パンダ服を着てパンダの赤ちゃんの健康診断をする科学研究者。(撮影・謝浩)
呉さんは歴代のパンダ服を指折り数えながら、「今のパンダ服は確かに見た目はいまひとつだが、パンダに似せることばかり追求すると、頭の部分を厚く、重く、大きくしなければならず、実際の作業で動きにくくなってしまう」と話す。
呉さんは「ハンターのようなギリースーツを着たこともあれば、草で編んだ蓑を着たこともあるが、最終的に今のような軽くて便利な柔らかい素材の黒白のコスチュームに落ち着いた」としている。
また呉さんは、「パンダの野生化トレーニングの管理方法では、人工飼育とは全く違った成果が求められる。人工飼育パンダは人を見たり、声を聞いたりするとすぐに寄ってくる。しかし野生化の理念の下では、パンダが人の気配を察すると、怖がって離れるようにしなければならない。そうしてはじめて、その後密林にスムーズに帰ることができる」と話した。
旅立つ「子ども」を見送る
赤ちゃんパンダは満1歳を迎えると、母パンダとともにより面積が広く、自然環境がより複雑な、野生化に向けて作られたパンダ舎に移る。ここで野生化トレーニングを行い、より厳しい自然環境での生き方を学ぶ。
無線機で野生化トレーニング中のパンダの位置を測定するパンダ服を着た職員。(撮影・李伝有)
母パンダが赤ちゃんを育てる効果が事実によって証明されている。これまで飼育員にとって赤ちゃんに木登りを教えるのは非常に困難なことで、うっかりするとかみつかれたりしていた。しかし母パンダが教えるようになると、赤ちゃんを口で木の上に押し上げ、枝に身を預ける方法を子パンダに楽々と伝授するようになった。
2010年8月、パンダの「淘淘」が臥竜核桃坪野生化トレーニングエリアで生まれると、母パンダによる子育てが初めて試験的に行われた。
母パンダ「草草」のトレーニングを受けて、2年後に「淘淘」は「みんなの期待を背負って」自然環境に向かった。体に識別のためのチップを埋め込まれ、全地球測位システム(GPS)の機器なども装着され、野生に返って自力で生きる道を探り始めた。
それ以前の教訓を生かし、個体群内競争のストレスを少なくするために、「淘淘」は臥竜エリアではなく、個体群密度の低い四川省石綿県栗子坪で野生に返された。
「子ども」の旅立ちを見送るのも、パンダの飼育員たちが必ず通らなければならない道だ。呉さんは「淘淘」が野生に返ったその日、なんとも言えない複雑な感情で胸がいっぱいになったことが忘れられないという。
母パンダの匂いをこすり付けた服を着て、赤ちゃんパンダを移動させる呉代福さん。(撮影・李伝有)
広大な山の中で、魏さんはパンダと共に31年の歳月を過ごしてきたが、一瞬の出来事のように感じている。その間、変わっていないこともある。たとえば5Gが登場しても、山を見回る時にはいまだに携帯電話がつながりにくいという。
実際には、変わったことの方が多い。以前は臥竜に行くのは一日がかりだったが、今は長くても2時間半だ。同センターが人工飼育するパンダは6頭から300頭以上に増えた。
学校時代の友人の中には海外に行く人もいれば、ビジネスをする人もいるが、魏さんに会うと決まって「まだ山を下りていないの?」と冗談を言ってくるという。そんな冗談に答えるように、魏さんが出した人生の答えが、魏さんの微信(WeChat)アカウント名でもある「遠山之旅」だ。
魏さんは「自分はラッキーだ。進歩する様子や、良い方向へ発展する様子を毎年見ることができるから」と言い、笑顔で遠くの山々を見渡した。それはまるで山の中からパンダの呼ぶ声が聞こえてくるかのようだった。(編集KS)
「人民網日本語版」2023年6月8日