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時に現実よりリアルな書籍の中の日本 (2)

 ■複雑になるほど見えてくる真実の日本

 現実の中の日本人女性には武士道精神が時折見受けられる。日本人女性のダンスはしなやかだが、まるで吠えているかのような太い声で歌をうたう。近年女の子の名前には「凜」が多く用いられている。「威風凜凜(威風堂々)」の「凜」だ。

 裸眼で日本を見た際に、発見するのは複雑な日本であり、よりリアルな日本である。たとえば芸者だ。「日本で伝統文化を継承する誇り高き人達は、大いにもてはやされるべきだが、実際には早くに衰退した。今や大枚をはたいて芸者を呼ぶ日本人がどれほどいるのか?大相撲観戦もしかり。一般市民は自宅に閉じこもり、テレビを見ているだけ」

 たとえば武士道。「民族主義が強調されていた時代。長い間積まれたままの古書から探し出され日の目を浴びた武士道を唱える言葉は、国民道徳に当てはめられ、西欧列強に対抗するために利用された。これ以降、武士道は不断に随意加筆され、必要な際に適宜取り上げられ、まことしやかに述べられた。武士道に関する論説主張は、武士道とはいかにあるべきかを説くと同時に、人々にそれが真のあるべき姿であると誤解させた。日本人は感動し、自らを武士道伝承者とみなしているが、それは小説や芝居の文学創作にすぎない」……。ああ案の定、冷めた目で傍観する語り口だ。

 以上の3章はいずれも、在日作家・李長声氏の著作「紙上声」の一節にすぎない。しかし本書が単に日本の芸者と武士道を記した本だと誤解しないでほしい。主要な内容は日本文学についてであり、芥川龍之介、夏目漱石、太宰治ら日本の文豪の姿が、李長声氏の筆によってそれぞれ見事に甦っている。

 表題「紙上声」は魯迅の詩、「文を弄して 文網に罹(かか)り 世に抗して 世上に違う 積りし毀(そし)りは 骨を銷(とか)すべく 空しく留む 紙上の声」が由来となっている。この詩は、魯迅がある日本人に小説集「とっかん」(口へんに内、口へんに咸)を贈った際に題したものだが、李長声氏の文章は決して魯迅の「とっかん」から学んだものではなく、周作人から学んだものである。彼は芥川龍之介の自殺についても記している。「芥川は『周囲は醜い。自己も醜い。そしてそれを目の当たりに見て生きるのは苦しい』と感じた。振り返って中国の作家を想うと、彼らは周りの醜さだけを見て、己は活き活きと暮らしている。存分に生き抜き、小さな苦しみにもほんのりした甘さを携えて」。芥川についての章題は「芥川は諦めに似た沈黙だった」。(編集HT)

 「人民網日本語版」2013年8月21日

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